よ〜いドン
80/04/12
「いつかのんびり気ままに旅をしようね」
これは結婚した時から二人で決めていたこと。
それが実現しそうになったんのは出発の一年前。 パンナム(1991年12月4日に会社破産し消滅)が80日間世界一周のクーポンを、
30万円ちょっとで出していることを友人から聞き、
その気になったのだ。
PANNAMのクーポンで80日間世界一周のつもりが⋯⋯
まぶた君(ダンナ様のニックネーム⋯⋯ まぶたがはれぼったいから)は、その日から資料集めに走りまわった。まず、各国の観光局を周り、カタログをいっぱいもらってくる。
そしてトーマスクックの時刻表を買い、読み方をマスターしてヨーロッパの移動スケジュールを立てる。
そのうちに三か月では無理というほど、旅の計画が膨らんでしまい、遂にパンナムの80日間世界一周クーポンはやめにして、他のチケットを探すハメに。
まぶた君は熱心に毎日、旅行日程を作り変えて見せてくれる。私は昔から計画性がないので、こういう念入りなことって気力が続かない。なのに、出来上がったスケジュール表を見てああだ、こうだと文句をつけるんだから全く勝手ね。
さあて、この計画三か月から半年に伸び、一年に延び、「いっそのこと旅の最終地をロサンジェルス
にしてカリフォニアライブを⋯⋯」というところまで発展してしまい、本人もなんだかよくつかめないまま出発の日が来てしまった。
バックパック担いで生まれて初めての合同記者会見に向かう
1980年4月12日。トコロは成田空港VIP室。生まれて初めての合同記者会見を敢行。なにせ初体験、 たくさんのカメラをこちらから写そうと記者に向かってシャッターを押したけれど、あれはちゃんと写ってたんだろうか?
「どうして旅に出るの?」って質問が多かったけれど、特にかしこまった理由・理屈はない。「旅をしたかったから」── それ以上のことは、旅を始めてからわかることかもしれない。
人生に希望をなくしたとか、自分を見失ったとかは全く無関係だし、いい曲を作るためため
でもない。ましてや歴史研究家でもないし、旅行評論家でもなく、普通の青年旅行者。
それも今出来る旅、足を使って、頭を使って、体を使って、今しか出来ない旅をしてみたかっただけなのだ。
搭乗ゲートに入っていこうとした時の見送りの友人たちがみせたなんと心配そうな心配そうな表情!
そのうちの一人ナヲちゃんなどは急に涙をいっぱいためて「死んじゃダメよ」なんて抱きついてくるもんだから、すっかりもらい泣きしちゃって、ずいぶんと湿っぽいスタートになってしまった。
涙はみんなにバイバイしたあとも依然止まらず、税関でハンコをもらうあたりに絶頂となり、すすりあげて機内の人となった。あ〜あ、やっぱり日本人。
もっとハッピーに出発すればよかったなあ。
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TO BE CONTINUED.
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出発前に調べた格安ホテルリスト
出発前のMAYO世界一周予定表が「LOVE」って見える
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