上野の国立科学博物館で「明治150年記念 日本を変えた 千の技術展」で
NASAに納品したカメラ、NIKON NASA BIGと久しぶりに出会った
19 Des 2018
大学の恩師に誘われて小学生から高校ぐらいまでよく通った国立科学博物館に行き、
「明治150年記念 日本を変えた 千の技術展(国立科学博物館、〜2019年3月3日)」で
江戸時代(〜1868年)が終わり、幕末に欧米に渡り海外の科学・技術を目の当たりにした人たちが
日本の発展のために近代化を目指した科学・技術による600を超える資料や実物を観てきた。
もちろん、フーコー振子にも会えた。
名物フーコー振子
●1895年、ドイツの物理学者レントゲンが放射線を発見したニュースは瞬く間に世界に流れた。
翌1986年(明治29年)には島津源蔵が協力した第三高等学校や山川健次郎などがX線による写真撮影
に成功。体の内部を透視できるため研究や医療目的に東京帝国大学医科大学と陸軍軍医学校に装置が
輸入された。大正時代になると国産のX線装置やX線菅も製造されレントゲン撮影が普及した。
X線装置 ニューオーロラ
●1930年(昭和5年)頃、栖原豊太郎が開発した高速度カメラII型。45,000コマ/秒の撮影ができ航空
研究所で航空機の空力研究に使われたカメラ。恐ろしく大きく頑丈!
●1980年、開発中だった「ニコンF3」をベースとしたモータードライブ付き長尺フィルム用
「NIKON NASA BIG」(写真左)をNASAに納入した250枚も連続撮影ができるこのカメラ、観たこと
あるけど撮影したことは無いです。
同じくNASAにはモータードライブ付き「F3 “スモールカメラ”」も納品され、翌年打ち上げられた
スペースシャトルコロンビア号に搭載された。
右のカメラは1959年製造の初の一眼レフカメラ NIKON F
●1920年にすでにあったMilburn電気自動車。
モーターはGE製、Milburn Wagon Companyは1915年ごろから電気自動車の製造を開始し、
日本にも輸出を開始していたが、写真の車は国内を走った記録は無いらしい。
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Photoshopを創ったThomas Knollさんに会えた!
Photoshop 1.0から使ってた田島照久さんにも会った!
22 May 2015
Photoshopの共同開発者で現在もCamera Rawの開発に携わる
写真家でAdobe Systems Inc.のトーマス・ノールさんに
Photoshop 25周年記念イベントDIGITAL PHOTO & DESIGN 2015で会えた。
11歳の時アーガスのレンジファインダーカメラを父からプレゼントされた事が
写真との出会いでカメラ操作や暗室作業を教わり、
この時苦労して習得したモノクロプリントの階調コントロール技術が
Photoshop誕生の基本となった
レベル補正ダイアログボックスに繋がっている話がとても興味深かった。
1989年、数多くのフォーマット画像を表示するピクセル画像プログラム「Display」を
APPLEとADOBE2社にプレゼンした結果、
創設したばかりのアドビが興味を持ち
後に米アドビ システムズにライセンスされたコードが
1990年2月「Adobe Photoshop 1.0」として発売された。
写真愛好家のトーマス・ノールさんが今一番気に入っているのがCamera Rawプラグイン。
2002年初めて手にしたデジカメのキヤノン EOS D60で撮影したRawデータを取り込み、
自分で現像処理したいと考えたのが開発のきっかけだったそうだ。
この時改めて写真をやってみたいと思い、以来撮影と開発を8年程続けていると聞いた。
僕も一番使う優秀な機能。
過剰なエフェクトが無くとてもナチュラルな色調で安心する。
上の画像は南極、アフリカ、アイスランドと世界中で撮影している中の日本版。
2
友人の田島照久さんは The photo design and production tool.
Adobe Photoshop Macintosh Versionからのユーザだった。
田島照久さんの事務所を訪ねた昨年の夏に偶然見せてもらったのが
新宿のIZUMIYA(現在Too.)で購入したマックバージョンのPhotoshop 1,0。
田島さんは1973年CBSソニー時代に横尾忠則さんとタッグで創った
カルロス・サンタナ「ロータスの伝説」のジャケットが有名ですが
独立する前の田島さんとは僕らが主催してた城南大学ダンスパーティー同好会の
パーティーに欠かせないギタリストだった。
1979年山口百恵さんと三浦友和さんがお忍びでロスにいた同時期、
ポパイ世代の僕も西海岸初旅行だった。
この時、オイルショックも重なりガソリンスタンドは
ナンバープレートの偶数奇数で給油制限があり夜明け前からスタンド前は長蛇の車。
ロス生活を堪能していた彼の世話で音楽業界の重鎮との会食もいい思い出。
独立後は尾崎豊や浜田省吾の写真集やアルバムのほぼ全ての作品のデザインや写真を手がけ
世界初のCG恐竜写真集「ディノピクス」は海外でも出版され
Photoshopのエキスパート。
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大相撲の取り組みから空撮までNEWS写真といえば
4×5インチのフィルムにフラッシュバルブ(ストロボが無い時代の光源)で撮影
1950年代の蛇腹カメラ、スピグラ(Speed Graphic)に出会った
15 May 2015
産経新聞社写真部のOB会に持ち込まれた戦後の報道写真撮影に欠かせなかったスピグラ。
ぼくは35㍉時代のNIKON S3、Nikon SP、Nikon Fで、
さすがにこのカメラで取材した経験はありません。大先輩たちによると、
カメラ上部にレンジファインダーが付いてる1950年代の終わり頃発売の機種らしく
ファインダーを覗くと暗闇でもピント合わせができるビームがでるそうだ。
相撲の取り組み撮影はあらかじめ土俵の真ん中15ftあたりにピントを合わせておき
土俵際で勝負が決まる瞬間にピント調整ネジをちょいと廻してシャッターを切る。
デジカメやiPhone撮影に親しんでいる方には上手く伝えられ無い名人芸の領域。
このカメラを自費購入して持ち込んだ大山文兄さんは
「火山灰の中の生存者」で東京写真記者協会賞(2014年グランプリ)受賞者。
今回の噴火で亡くなられた方々のご冥福を心からお祈り致します。
800㍉の超望遠で捉えた生存者は長野・岐阜県境の御嶽山が噴火した翌日の9月28日、
東京からチャーターヘリコプターで現地へ飛んだ。
突然の噴火から1日後の航空取材。捜索や救出風景をアップで狙おうと、
普段ヘリ取材では使わない800ミリの超望遠レンズを持ち込んだ。
紅葉する山々とは対照的に、火山灰で埋め尽くされグレー一色になった山肌に目をこらす。
しばらくして同乗していた社会部記者が石垣に寄りかかる女性を発見した。
超望遠でも豆粒にしか見えない。上空を2周し40枚ほど手持ちで撮影した。
少しして女性は捜索隊のヘリコプターに救助された。
取材を終え機内で画像を確認した。
石垣の横に座り込む女性を拡大すると、わずかに右手が動いている。
画像を見比べるとリュックサックも少し動いていた。
「生存者だ!」。そう確信して本社に写真を送信した。
東京写真記者協会HP 受賞者コメントより。
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わかる!いいね!写真の備えは クリッピング。
10 Apr. 2015
写真は好きだけど
どんな写真が好き?
何を撮りたいですか?
自分の写真は‥‥
即答できる方は意外に少ないかもしれません。
撮影してみたい物や事、
興味がある場所など思い浮かぶイメージは様々かもしれません。
そこで今日から、
好きな雑誌のページからいいね!ページや気に入った写真のスクラップをお勧めします。
もっと楽しく!いいね!を撮ろう 続きは▶
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いい写真のフレーミングは書道に通ず。
10 Apr. 2015
カメラ フレームの多くは矩形です。
習字に使う半紙も矩形で、書き初め用紙のように長細いものもありますが
目的に合わせて縦に使ったり横に使ったりします。
僕は書家ではありませんが墨の匂いと筆の感触が大好きな子供でした。
半紙は紙質も価格もいろいろあり、少し大きめの画仙紙はサイズ、紙質も様々あります。
現在のプリントメディアの多様性と似ています。
筆も大筆、小筆。材質の違いや穂先の硬さ長さの違いがあり
これはレンズと同じで目的や好み価格で選ばれます。
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