おはよう7:00(セブンオーオー)キャラバンⅡ日記
80/07/11 (金)
ちょっと違うな。思ってたのとちょっと違うんだな。
なにしろ今日は生まれて初めてアフリカの大地に足を踏みいれた日なんだ。
ちょっと期待が大きすぎてイメージを作りすぎたのかな。
ホテルに向かう車の中から見えるアフリカはどこかヨーロッパの匂いがしている。
フランス領だったから仕方がないのかもしれないけれど。ただ家並みと人だけはイメージにぴったり。
どの家もどの人も真っ白な装いをしている。
全く透き通るような真っ青なチュニスの空に、この白はピッタリだ。少しうれしくなってきた。
これが私!!
チュニジアの外出着は、白い一枚の布を巻きつけて出かけます。
しばらく行くと壁に七、八人でよりかかっている女ばかりの家族がいた。
いい感じだな。
まぶた君が車を止めてもらってカメラをかまえる。一人の娘が、陽気に笑いポーズを作る。
するとお母さんが血相を変えて怒った。
こっちに向かってやめてくれと言っている。
イスラム教の女は、他人に顔を見られたり写真を撮られたりすることはタブーなのだ。
他の娘は家の陰にあわてて隠れた。すかさずパチリ。
ごめんなさいね。
悪気はなかったのよ。あんまり風景とピッタリだったから⋯⋯。
メガラホテルは、市の中心からちょっと離れた高級地っぽいところにある。入口から茶系統でまとめたシックな
ダイニングを突っきると、目の前にワッと地中海が広がる。ウーン色がすごい。
石段を駆け下り、もう取りつかれたように砂浜まで走る。
ああ、ついに7月11日4時8分32秒、この地中海に足を踏み入れたのです。
感激。
フランス人の多いこのホテル。プールもきれいで何も最高なんだけれど、夕食がまずかった。
味つけを忘れたみたいに、
でもおなか一杯食べたし 、明日から久々の仕事、
頑張らなくちゃ。
屋根の上にガソリンを積んだキャラバンⅡの車
チュニジアひとめぐりルート
220731追記 /
『おはよう700』(おはようセブンオーオー)は、
1976年9月27日から1980年9月26日までTBS系列局ほかで放送された朝の情報番組。
庄野真代のチュニジアOAはキャラバンⅡ時代の1980/ 7/28~、
1980/ 8/ 4~、庄野真代の飛んでチュニジアほか
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「クエ!クエ!」クスクス
80/07/12 (土)
8時起床。地中海を見ながらのブレックファーストは、かたくてまずいパンも許しちゃう。
朝食後、下見兼スチル写真撒りのために旧市街へ。
旧市街はメディナといい述路のよヲな商店街になっている。
ここはもうアラブそのもの。
中はかなりかなり細い道で、写真やパンフレッ卜で見たことのある金物の盆や、針金製の鳥かご(何故かどこでもビニールでくるんである)、ヤカンや食器類、金物細工が所狭しと店先に並んでいる。観光客用と思われる民族調の服が多く、私もコットンのロングドレスを一着買ってしまった。11.25ディナールというのを通訳のモンセフ君が交渉してくれて6ディナールに。
それをさらに5ディナールに値切った。1ディナール=1000 ミリム=五百六十円だから約二千八百円だ。
午後はメディナの入り口で撮影が始まつた。
準備をしているとどんどん人が集
まり、石垣のように周りを取り囲まれた。
愛想よくみんなに手を振る余裕もなく、私はひたすらセリフを考え、モグモグ練習している。
台本が無く直感だけでしゃべるのだから、あらかじめポイントを考えておかなければハチャメチャになってしまう。
メディナの様子を撮りながら奥へ進む。
金物細工のオッチャンは実演即売りで、いつも何か調子をつけるためにブツブツ口走ってるんだけれどカメラを向けたら急に勢いがついて、トンカン、ブツブツ、トンカン、フツブツうるさ
いのなんの。でもプロヲェッンョナルだね。
この撮影での一番人気はなんといってもテレビカメラだ。
マイクを持つ私より
もカメラマンに尊敬と憧れの熱いまなざしが注がれる。
このすごい人だかりの中にどういうわけか一人スタッフの気持ちになっているアラブ人がいて、
ずっとついてきて、人が集まりすぎると整理を始める。
進む方向に先向りして通り道をつくってくれたり店の人にいいポーズをとるように指示したり、
おもしろい人っているもんだね。
きて、メインエベントの家庭訪問だ。
メディナのずっと奥に民家がギッシリ建ちならんでいる。窓一つない白壁の真ん中の小さなドアをあけて2.5メートルぐらい暗い通路を進むと中庭があり、その庭を囲むようにして、下に7家族、2階に3家族が住んでいる。
女主人は笑顔で迎えてくれたが、他のおばさんたちは日本のテレビがくるというので水をまき、庭といい部屋といいコシゴシ洗っている。
旦那連中や子供たちはワールドカップのサッカーをやってるらしくテレビに釘づ
けだ。
チュニジアはアフリカの中でもかなり強いらしく、サッカー熱たるやスゴイもんだ。
子供たちは我々に気づき恥ずかしがるどころか、写してくれとせがむ。
カメラでパチリとやってあげるともう有頂天だ。
ここにちょっと日本人っぽい顔の美人姉妹がいて、日本男子軍の注目の的。
入り口を入って左側のところに共同炊事場があり、その奥に石造りのトイレがあった。
ここもそうだが他の部屋もヒンヤリ涼しい。
土で作った家は涼しいね
民族衣装を着せてもらった。
重ね着っぽくて、とてもきれいな色の服だったけれど、やっぱり私じゃあまり決まらなかった。
漉いチュニジアンティーを入れてくれたり、頭にツポをのせてベリーダンスの仕方を教えてくれたり、とにかく陽気なんだ。
ベリーダンスはこうするのよ
ここの女主人(多分大家さん)の家でクスクスをご馳走になったけど
「いっぱ
い食べろ」という意味の現地語は
「クエ!クエ!」というのだ。
言葉は通じないのにすっかりうちとけて、気がついたら表は薄暗くなっていた。
門を出る時、私の数少ないフランス語のレパートリー
「メルシーマダム、オポワー」って言ったら、
マダム顔をクシャクシャにして名残惜しそうにしっかり握手してくれた。
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地中海の朝日
80/07/14 (月)
まぶた君は地中海の朝日を撮るぞ、と朝4 時半に起きた。
目が覚めた時少し
空が紫がかっていたのであわてて砂浜に下りる。
水平線が薄だいだい色になっている。
そして5時15分突然だいだい色の太陽がちょこんとおでこを見せた。
まるでピリヤードの玉のよう。
1、2分の間にスッと全身を現した。でも不思議にギラギラしていない。
右の方から砂浜を一人の老人が麦わら帽の下に手ぬぐいを挟んで歩いてくる(下手すると東北のお百姓さんとなんら変わらない素材使っているのに、どこかアフリカを感じさせる)汚い犬を通れた老人は海に入って行く。
ちょうどカメラと太陽の間ぐらいまで歩いた老人は腰まで水につかって小さな網を投げた。
すごいって一言叫んで、まぶた君、篠山紀信になってシャッターを押した。
信じられないくらいきれいなシルエット⋯⋯。
うまく写ってればいいけど。
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ジャスミンの花飾りはメンズオンリー
80/07/15(火)
今日はメインストリートでオープニングのカットを撮っただけで終わり。
1日自由行動だ。午前中は庭のピンポン台で卓球大会になった。するとポーイやフラ
ンス人的観光客が、代わり番こに入れてくれって参加する。そのたびに国際試合。
日本代表の気持ちで頑張るんだけれど、
「私はスペンャリスト」と自慢するだけあってポーイのお兄ちゃん強い。それに
比べてフランスはせこいピンポンするなあ。切りまくるだけで、玉に力が全くな
く、変なところばっかり攻めてくる。いやな国だ。
午後はメディナに繰り出してプレスレットを買った。
銀製のへビ形をしたブレスレット5ディナールっていうから冗談でしょ、1ディナールよ!っていうのから始まって、結局2ディナールまで値切った。
こんなに負けるんだから多分銀じゃないね。
左手前がジャスミンの花売りおじさん
町ではジャスミンの花で作った飾りを耳の上にさしてる人がいっぱいいる。
それも女じゃなくてすべて男だ。大きな丸い麦わら帽にこのアクセサリをいっぱいつけた名物のジャスミン売りオジさんから、1本買うと、ちょうど競馬をするオッチャンが耳に赤鉛筆を挟むみたいにして柄の部分をさしこむ。
顔の横に直径10センチくらいの花の輪ができて、オッチャンのごつい顔と妙なパランスを保つ。
習慣なんだからしょうがないね。でも、すごくいい香り。
これは200ミリームだけれど値切って130ミリームで買った、まぶた君、左耳を飾っている。
あまり似会わないが、本人いい気持ちなんだから今日のところは云わないでおこう。
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オリーブの首飾り
80/07/16(水)
今日はエル・ジェム(El Djem)の円形劇場に向かって車を走らせた。
途中、小さな街とオリーブ畑で撮影。
オリーブ畑は5メートル間隔で四方に植えられたオリーブの木が数キロにわたり就く広大なところ。まだ粒が小さかったが、刈り入れ時はさぞかし大変だろう。
オリーブの実は黄緑色(クロームグリーン)の小さな粒がたくさんついている。
「オリーブの首飾り」ってどうやって作るのかな。
7月のチュニジアは雨量が1ミリというようなきびしい天候。
この中で育つのだから丈夫な木なんだなあ。
オリーブの木陰ではポツリポツリとラクダやロパが休んでいて、なんとものどかな情景。
テレビの撮影をしていると、間りには誰もいないはずなのに、どこで嗅ぎつけてくるのか子供たちが道を懸命に走ってくる。
キャラバンⅡの車が目立つのだろうか。
円形劇場の遺跡に着いた。
少し崩れたその大きな茶色の建物の前にラクダが2頭休んでいた。
すごい雰囲気。
オッチャンはそのラクダを引っ張ってきて近寄り、さあ写真を撮れという。
でも一回200ミリームよこせというのだ。
この大雰囲気の光景。
現地人の観光客でもお金を払いパチパチ写すのだが、こっちはちゃんとハスからオッチャンに気づかれないように何枚も搬ったのだ。
ローマ帝国時代の円形競技場とラクダ
円形劇場はローマ時代のものらしくかなり古そうだったが、けつこう原形をとどめている。
200メートル×100メートルくらいのだ円形の建物だが、人間とライオンの悲惨な戦いがここで繰り広げられたんだろう。
それをゲームとして見て楽しんだ金持ちたちの席も、罪人としてライオンと戦う羽目になった人たちの控部屋もそっくり残っている。
ホテルに戻る途中オリーブの木の下でスイカ売りが縦長のスイカを並べて売っていた。
こんな暑いところだから中まで熱くなっていて、まずいんじゃないかと思ったけれど、そのシーンも撮影するので食べてみた。
⋯⋯意外に冷たい。
甘くておいしい.木陰に置いてあるだけでこんなに冷たくなるなんて日本では考えられない。
空気がカラカラに乾いているから日の当たらないところはとても涼しい。
外は40度を超しているのに、日陰は温度があがらないのだ。
意外に冷たい路上売りのスイカ
ホテルの前の海で泳いだ。ウベア島(ニューカレドニア)を思い出すくらい透き通ったきれいな海だった。
こんなところでいつも泳いでいでいる人が湘南なんかの水を見たら下水と思うにちがいない。
雲
一つないのにジリジリとした暑さがないのだ。
砂もあまり熱くない。
とても不思
議な海岸だ。
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ベルベル族の村を訪ねる
80/07/19(土)
明け方5時すぎモスクのスピーカーからコーランが街中に鳴り響いた。
夢うつつのうちにそれを聞きながら7時半起床。
このホテルの朝食はコンチネンタルでパンとジャム、パターに紅茶。
このジャムはあんすのこってりしたのや、ナツメヤシの実で作った自家製。甘々なのだ。
今日シェニニという山の中腹に昔のまま残されているベルベル族の村を訪ねることになった.。
ハダダから石コロだらけの道を走ると何とも異様な山が出てくる。
山と同じ黄土色の土造りの家が山の斜面に並んでいて、ちょっと見ただけでは山にポツポツと穴があいてるふうにしか思えない.。
この穴が家の入り口になるのだが、山の中腹にそれが集まっていて、実に奇観。
そこまでの道はというと、ヒピ割れたカラカラの大地に生きながらドライフラワーとなった草が、地面から10センチくらいの高さでガチッとくつついている。
緑というより土ボコリで灰色になっていて、風が耽いても揺れもせず、車がそこを通るとパンパンベキベキと音がする。
シェニニは要塞都市の一種で、敵から身を守るため、住み家を隠すためこんな二方を山に固まれた高いところに住んだんだろう。
クサール{昔の穀物庫)は山のてっぺんの穴ぐらに造られていて食科はすべてそこに蓄えてある。
中はひんやりと冷たく、空気が乾燥しているから腐ったりしないんだそうだ。
山と山の真ん中に井戸があり、かなり上の家から少年たちが水を汲みにやってくる。
ロパは汲みあげた水の容器を背中にのせられ、石ころだらけのヒドイ坂道を滑らないよう、つまずかないよう一歩一歩上がっていく。
あの細い4本の足にぐっと力を入れて亜い水を運ぶロバ。
子供は「早く早く」とロパのおしりをムチでたたく。
畑はここから10キロも20キロも離れた平地にあり、毎日通勤していくそうだ。
ベルベル族の家族と
何だか東京の郊外に住んでいる人が電車で2時間3時間かけて出動するのとイメージがだぶってしまう。
案内してくれたモハメッドさんは奥さんと息子二人6畳ぐらいの穴ぐらで暮らしている。
この穴はモハメッドさんのおじいさんの、おじいさんのそのまた先祖からあるそうだ。
彼の上の息子がここにずっと住むことになる。
入り口にはラクダが座っていて、これはTAXI代わりなんだって。
山羊や羊、鳥も飼っていて、これは毛皮をとったり食料になる。ロパは大事な労働源だ。
こちらの人は概して写真を撮られるのをいやがり、子供たちは石をぶつけたりする。
自然のままに暮らしてる俺たちの生活を邪魔するな、とでも言ってるのだろうか。
しかし撮らないわけにもいかず、この急な足元の悪い坂道をエッサエッサと上りながら撮った。
カメラマンは重い機材を担いでこの炎天下の中、かなりこたえたらしい。
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DOUZの近くで食料調達
80/07/20(日)
ワッ大きい!このパン
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チュニジア最高!
80/07/24(土)
「おはよう7:00(セブンオーオー)」の撮りはすべて終了した。今日は自由行動。
すっかりリラックスして町をプラプラ。
思えばこの2週間いつも緊張して、体も頭もよく使ったな。
やせる思いだったけれど、毎日食費の心配もせずパンパン食べていたから、
かえって肉がついた感じがする。
ホテルの心配も食事的心配も移動の心配も何もしなくていいというのはラクだけれど、何か物足りない気もする。
でもキャラバンⅡのおかげで、バックパック旅行で見ることができない奥深い、内容の濃いチュニジアを知ることができてよかったと思っている。
チュニジアはこの旅の前半のハイライトとなった。
こんなすばらしい国はない。
夜はチュニジア政府観光局の招待で、ベリーダンスと民族音楽(フォルクローレ)を聞きながら食事をした。ミュージシャンは初めて見る楽器を使い、一曲がとても長くて、よくメロディがつかめないダラッとした感じだけれど、リズムは小気味よくダンサーの腰を揺らしてゆく。
ダンサーはアラビアンナイトに出てくるような衣装をまとい頭に壺をのせて激しく踊る。
壺をのせたまま、座ったり横になったりするものだから、誰もがあの壺はヒモかなんかで頭にくっついてるとばかり思っていたが、踊りが終わった時、ダンサーはさっと壺を持ち上げた。
ただ上に乗っかってただけなのだ。
そしてその壺をさかさまにした。
なんとザァーと水がこぼれた。信じられない。
テレビでよくダンサーがベリーダンスのまねをしたりするけど、生半可な修行じゃできないね、あれは。
拍手がしばらく鳴りやまなかった。
ウーン、チュニジア最高!
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チュニジア・ノート
● チュ二スのAIR PORTから市内へ行く道端の木は何故か、みんな海に向かって傾いている。
● ロパ1頑の値段は20ディナール(一万二千円)
● チュニジアの男性平均身長は170センチほど。
● 結鯖式は1週間続く。初めはお嫁さんは自分の関係者だけで宴を聞き、婿側も同様。そして合同して、3、4日宴はくりひろげられるという。お金がかかるのだ。
● テレビは一局のみの午後5時〜12時放送
● コーランの時間になるとテレビでもえらいお坊さん?がとうとうとお折リをする。
各家庭でも茶の間に集まってお祈りをする。(しない人もいるが静かにしている)。
● チュニジアには国産の映画スターはいないが、レコードシンガーはいる。
● コーランの祈りは1日五回、日の出前、日の出、昼、夕方、夜。
● チュニスでは月100ディナール(六万円)で人間一人わりとよい暮らしができる。
● 一番さかんなスポーツはサッカー、アフリカN0.1だ。
● ラジカセは大人気。大きければ大きいほど欲しがる。以前、日本人が百万円もするジュウタンと変換したという話を聞いた。
● カセットの生テープはごく普通ので八百円ぐらいする。
● 女は18〜21歳、男は24〜26歳で結婚するのが普通。
● 電圧は220ボルト.日本のドライヤーだと火を噴く。
● ジェルパ島(フェリー、車1台600ミリーム)では1つ星のツーリストクラブは
1泊朝食付き1.5ディナール、フルポンド5ディナール、3つ星のサハリアンホテ
ルはフルポード6.5ディナールだった。
● サハラ砂漠で風の強い日は表面がドライアイスのように粉砂が舞いあがる。
● 道端で売っている、スイカ売りのオッチャンの切り方は左の図の通り。
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付け焼刃アラビア語講座
おはよう=スワッハヒル。sabah alkhayr
ありがとう=ショッコラム shkran lak
高すぎる=ガリィエーセル
美味しい、いくらですか、もっと安くして、ごちそうさま、さよなら
1=ワッハド
2=エッスニン
3=tharatha
220731追記 /
アラビア語のカタカナ表記は無理があったため正しいアラビア語はGoogle翻訳で聞いてください。
https://translate.google.co.jp/?hl=ja
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★チュニジアを召し上がれ
他のアラブ諸国と同じように、シンカバブなど羊肉が主体。
そして、なんといってもクスクス。
これは見逃せない土地の料理だ。大衆食堂にだって、高級レストランにだってあるし、家にお客さんを迎えた時はスープ、サラダ、他の料理のあとのメインディシュとしてこのクスク
スを出すのが立派なおもてなしだそうだ。
さて、このクスクス(COUS COUS)の作り方はくわしく教わらなかったが、フランスではどのレストランにもあり、かなりポピュラーな料理らしいのでそちらの専門書を見ていただくことにして、一言でいえば炊きこみご飯。
Wheat Semolinaと書いてあったから挽き割り小麦に赤唐辛子を入れて蒸し、その上に、野菜とマトンやチキンの肉類を昧つけして蒸したものをのっけて食べる。
モロッコのクスクスは小麦も白いままで、肉や野菜をスープ状に煮込んだものを上からかけるが、チュニジアのは赤く色のついた小麦に汁つけのない肉やピーマンがのっていた。
チュニスの民家にお邪魔して、ごちそうになった時、大きな土鍋にいっぱい入ったクスクスは肉も野菜も小麦もみんな一緒に炊きあげられていた。
肉といってもみんな骨つきの大きい肉で手で持って食べちゃう。野菜も長さ15センチはありそうなピーマンが縦四つに切られて入っていた。味はちょっとピリッとして
いて辛いが、ホテルでステーキを食べてるよリずっとおいしい。この小麦ちょうどお米1粒を6、7等分したくらいの大きさで丸い。口に入れるとポロッとしているが、かみごたえなんかお米そっくり。おいしいね⋯⋯なんてスタッフ全員でモクモク食べているとカメラマンの
大塚さんが「こんなものを食うとと戦時中の何もなかった時代に食べた味を思い出す」と途中でやめてしまった。ヒエやアワがどんなものか知らないけれど、ちょ
うどこんな感じなんだって。
● ショルパ
アラビア語でスープのことをショルパというが、「これがショルパです」と出されたスープがおいしかったので、ずっとショルパというスープだと思っていた。
格別においしい。チリとトマト風なサラッとしたスープでマカロニのようにツルンとしたお米が入っている。ピリリと辛くて、酸っぱく、みんな何杯もお代わりしちゃった。
● プリツク
モンセフ君のフィアンセの家の夕食に呼ばれた時、初めて口にしたもの。あんまりおいしかったので作り方を聞いてきた。
用意するものは、春巻きの皮。この皮、自分で作れる人はその方がおいしいらしい。そしてひき肉(牛でも豚でも鶏でもお好きにどうぞ)。
あとは卵と、揚げ油、塩、コショウ。
① 春巻きの皮を広げて、あらかじめ塩、コショウで味をつけておいたひき肉を薄く伸ばす。(厚みがあるとサッと揚げた時、肉の中まで火が過らないから)。
② このひき肉の真ん中にくぼみをつくり、生卵を割り入れる。気をつけてやらないとはみだしちゃうゾ。
③ そっと角を持ち上げて三角に包む。これも神経を集中させてこぼさないように。両端を指と手のひらで軽く押さえて、そのまま熱くなった油の中へすっと入れる。ポチャンと落としてはダメ。すっと滑りこませる。
④ 肉に火が通って卵の黄身がまだやわらかいうちにとりだす。火の温度もきっと関係するのね。研究してみて。
⑤ 食べる時は、両手で端を持って底の方からガブッとやる。真ん中の卵のつまっているあたりめがけてかむ。卵をチュッと吸ってしまってからパリパリと全部食べてしまう。手も口も多少、汚れるけれどおいしいからもう一つ⋯⋯てなことになる。
このプリック、レストランでも食べた。
メニューを見るとプリックのコーナーだけでも十種類はある。卵プリック、肉ブリック、野菜、チーズetc。
大きな小麦粉でできた皮に伺かをはさんで揚げたもののことをプリックというらしい。レ
ストランのはもっと凝っていて、皮の先をヒダヒダにしたり、円形や半円形のもあった。
● コーラ、ミリンダよりもボガ
BOGAはファンタ風な炭酸飲料でイチジクとレモンがある。こくがあっておいしい。値段はポガ=150ミリーム。コーラ=200ミリーム。(シナルココーラがたくさんあった)。ビール=450ミリーム。
これは大体の値段で店によって違う、ホテルは高い(倍ぐらいすることもある)。
● チュニジアンティー
やかんに紅茶の葉を入れ、グツグツ煮出して小さなガラスのコップに入れ、少しずつ飲む。苦くてとってもゴメンだった。
● ジャスミンティー
紅茶の中に、ジャスミンの花が浮かんでいる。
● ミントティー
紅茶にミントが葉っぱごと入っている。
匂いがかなりきっくて、これもゴメンだった。
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