コニャック食事地獄・天国
80/07/03
おいしい食事がこれほど苦しくて、
怖いもんだと感じたのは生まれて初めて。
後にも先にもこれ一回きりだ。
友人のカメラマン西田氏からコニャック地方の取材に同行しないか?という手紙をもらったのはインドを発つ前の日。
こんな嬉しいことはない。
成田空港で見送ってもらって以米約3か月ぶりに会えるんだから⋯⋯。
「ご一緒させて!」
とすぐ返事を出し、
スケジュールを調節してパリで再会。
インドにいた2 か月が1 年くらいに感じられ、
あんまり懐かしすぎて会った瞬間とても恥ずかしい気がした。
「汚くなったなあ」
と文明国日本から来たばかりの西田氏。
コニャックではヘネシー公爵の晩餐会があるかもしれないと、
私のドレスと靴を東京から持ってきてくれた。
インドを経たバックパッカーから見事な変身
パりのオーステルリッツ駅からT・E・Eに乗って3時間ぐらい。
自分で決めた移動じゃないと、行き先も駅名も発車時間も覚えてないとこがすごい。
我々と西田氏と奥さんのナオちゃん、記者のN木氏、そしてコニャック協会の鈴木氏がアングレーム駅に着いたら、現地のコニャック協会のジャンさんとジュヌピエープさんが迎えに来ててそこから車でさらに40分ほどでコニャックに到着した。
旧市街はどこも右だたみ、この細い石だたみのゆるい坂道に樽をコロコロ転がしていく風景のコマーシャルなんかあったな━━。
220723 西田追記 / コニャックを熟成させる『パラディ(天国)』とよばれる蔵の壁や屋根にもコニャックの熟成樽から蒸発した「天使の分けまえ」とよばれるものが付着し黒カビで黒ずんでくる。
この黒さで何年ものが熟成されているかがわかるらしい。
古い映画のセットに迷いこんだようなムード満点の市内見物のあと夕食。郊外のちっちゃなお城のようなホテル&レストランにやって来た。
テーブルの支度ができるまでロピーで食前酒をいただく。
ピノといって、ワインを発酵させる前のぶどうジュースにコニャックを混ぜたものがでてきた。
赤と白があり、赤はコクがあり、白はサッパリしている。両方とてもおいしい。
そして夢のような豪華な食事が開始されたのは7時すぎ。
エスカルゴ、羊の肉のステーキ、あとみんなが食べているものをつっつきながら優雅に食べまくった。
アイスクリームにコニャックをかけていただくデザートもおいしかった
ワインも赤、ロゼ、と次から次へと栓があく。
やっとメインディッシュが終わったと思ったらチーズをどうぞときた。
ジャンさんは二種類ぐらいのチーズをとってパンにつけて食べている。もう無理。液体も固形もなんにも入らない。
辛うじてアイスクリームを口に入れ紅茶も遠慮して、食事のしめにコニャックを飲み、ホテルに戻ったのは11時すぎ。うわあー3時間も食べてたんだ。
コニャックのことを日本に紺介する取材なので、コニヤャック協会のもてなしはすごいものだ。
次の日、午前中はヘネシーの工場見学、樽が寝かせてあるところはパラダイスというんだけれど、暗くてジメッとして、クモの巣やカビがはりつめ放題。だって1800 年につくったものがまだそこに置いてあるんだから。
勿論、1800 年のはピンに移しかえられているけれど、100年前として1880年のはまだ樽の中。
これを造った人は、未来の人が今ここにいて「ヘェー 」なんて感心していることを知っているんだろうか。
マヨの生年月日と同じ1954年もののコニャック樽と職人さん
ヘネシー工場の前のシャランド川。昔はここから船積みされて世界に
昼食は12時から始まった。野菜のテリーヌ、アヒルの胸肉、伊勢エビ、ニース風サラダ⋯⋯。人聞の食欲とは怖ろしいもので、どんなに満腹で、もうダメといった状態でも、さらにおいしいものが目の前にくると食べられちゃうのだ。
まずいものはすぐ飽きてたくさん食べられないけど、おいしいものは食い死にするまで食べられるようになっているみたい。
12時から食べ始めて、しめくくりのコニャック一杯を口にしたのは3時。もうおいしくて━━。
午後(といっても夕方)はコニャックを蒸留する工場の見学。
さあて、夕食の時間だ。
3 時に昼食を終えてからまだ時間がそんなに経っていないのにもう食べるんだって。
恐怖。
食べるのがコワイ。
ジャンさんは奥さんのニコルさんも誘って気軽にレストランへ⋯⋯。
着いたところはやっぱり白いテーブルクロスがパリッとかかった、フルコース向きのレストラン。
食事の前にピノを飲むのは習慣になってきた。前菜にはムール貝のパタ一蒸し、このムール貝だけでも大皿に山盛りあり、おなかが一杯になってしまう。
魚のスープ、これはカツオブシ(?)のような味をしていて、トロ味がありおなかの膨れるものだ。仔牛のステーキ、みんな自分が注文したものが食べきれなくて他の人のお皿におすそわけしちゃうから、キジ
のグリルやマスのムニエル、カニのコキュールなんてのがお皿にズラッと並んでしまう。
食後のチーズもことわりきれなくて食べてしまった。
デザートにレモンパイ、コーヒーにコニャック、これだもんね。
次の日はマーテルの工場見学と樽工場見学。この樽工場はおもしろかった。
力のない奴は「さよなら」という感じで、金づちでガンガン丸い樽を作る。
鉄のワッカをはめたり、内側を火であぶって曲線をつけたり、大迫力だ。
壁にヌードのピンナップが貼つであったのは、やる気を養うためかな?
昼食はスパゲッティで軽くすまそうっていったのに、前菜がふえて、なんだかんだと食べ、午後オタール城を見学。
ここは1500年ごろできた古い城で、イギリス兵が捕えられていた牢屋など石造りなのでよけいに雰囲気がある。
地下の樽を寝かせてある部屋は真っ暗。異様な臭い。
それに囚人を川に捨てるための穴のある通路に大昔の樽が並んでいる。
一人ではちょっとご免のところだ。
そして最後の夕食。そうそう公爵との会食はなかったの。
ぜいたくな恐怖を感じながらの食事も今日で終わり。
また明日からはもとの生活サイクルに戻ると思うと「もうダメ」 「満タン」と言いながらずいぶん食べてしまった。
エスカルゴ、大きなキノコのソテーに舌ピラメのガーリック焼き(ホウレン草がのっている)最高のディナーだった。
でももういい。
もうたくさん。
これで豪華な食事はたっぷり味わった。
でも、この一回3時間なりの食事を毎日続けているお金持ちフランス人もいるはず。
その人の胃は、いったいどうなっているんだろう?
牛みたいに四つもあるのかなあ。
あー明日はホットドッグかハンバーガー
一つでいいや。
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決定!パリ公演
80/12/13
パリ滞在中に‘私のパリコンサートが決定した。主催はもちろん我々。お客はパリの一般市民。日時は12月13日の13時より。場所はコンコルド広場の下のメトロのコンコルド駅通路⋯⋯ 。
ヨーロッパは道端で歌っている人が多い。ギターのケースを聞けてそこにお金を投げこんでもらったり。誰もふりむいてくれなくても、ただひたすら歌っている人もいる。前からこんなのやりたかったんだ。伴奏がないとオペラ歌手みたいになってしまう。いや日本語ならお経かな。それであきらめていたんだけど、イスタンプールで、まぶた君がジュンビッシュというマンドリンに似た民族楽器を買った。パリのホテルでポロンポロンとひいているのを聞いていたら、もしかしたらジュンビッンュで歌えそうだ⋯⋯ということになった。
嫌がるまぶた君を巧みにおだて、褒めちぎり、その気にさせてパリ公演決定にもち込んだ。
日本から歌路曲全集ポケット版歌詞集を侍ってきたので、ここから曲のセレクトを始める。伴奏の簡単なのでフランス人に受けそうなそれでいて好きな歌を四曲選んだ。これ以上は無理だし、そんなにやる必要もない。公演は3 日後、15分コンサートだ。衣装も手持ちの中から、中近東っぽさが出るようにしたけれど、あんまり普段とは変わらなかったみたい。まぶた君は、ギターのようにスムーズにいかないと言いながらも、結情それらしくこなしているし、紙に歌阿とコードを書いて、ジュンビッシュの特色を生かしたイントロを作ったり、久しぶりの胸ドキドキ。
きあてやってきました本番が⋯⋯ 。
朝8時起床、いつものようにパンを買ってきて朝食を終え、TBSの長谷川さんに電話をした。今日のコンサートを写真に撮ってもらうため⋯⋯ 。寝ぼけ声で出てきた彼女は「フィアンセと行くわ」と答えてくれた。部屋でおさらい。昨日の夜は、他の部屋のことも考えて控え目に練習したけど、今日は力一杯、声をはりあげた。同宿のみなさんうるさかったでしょう。ごめんなさい。
12時出発。コンコルド駅には1時5分前に着き、スーパーマンIIの大きなポスターのあるとこに座り込み場所を確保した。長谷川さん登場。ジャン・マークというとびきりハンサムなフィアンセと並んで現れた。これは長谷川さん得してるな。
メトロが両方ちょうど一緒に発車し、静かになったところで幕が揚がり、「酒と泪と男と女 」のイントロが姑まる。この中近東風メロディーのイントロにみんなちょっと気をとめるけど、パリっ子らしく無関心をよそおう。歌い初めても依然無関心。
ところがサピの「歓んで〜飲んで〜 」のあたりからみんな完全にこっちを向いてアゼンとしている。ここは声もよくひびくし、アーいい気持ち。
ジャン・マークにあとで聞いたら「トレビアン」とつぶやく人がいたそうな⋯⋯ 。
ホームでは一曲だけにして今度は通路に場所変え。ビニールを2 枚敷き、あぐらをかいて座り、目の前に誘導用のコインをのせた布袋を置いた。
一曲目は「飛んでイスタンブール」。自分の歌を歌うのはすごくいやなんだけど、特徴のあるメロディーだからとレパートリーに入れた。歌い始めると多少珍しいのか四、五人立ち止まって見ているが、すぐにいなくなる。また立ち止まる人がいて真剣に歌っている最中、な、な、なんと銀色のものがピューンととんできてピシッとバックの上に乗った。2フラン玉だ。長谷川さんはフラッンュをパンパンたいて写真を写す。嬉しさで顔がくずれそうになるのを必死でこらえた。
二曲目「かもめはかもめ」。この歌大好きなのにお客が急にいなくなった。 たまに通っても目をやることもせず通リ過ぎてしまう。三曲目「学生時代」。これは調子がいいから受けると思ったんだけど、かすりもしない。 そして四曲目さっきうけた「酒と泪と男と女 」を歌い始めると、人がチラホラ足を止めて見はじめる。この曲フランス受けするのかな。かなり(と いっても五、六人)の人だかりができた。人が集まっていると気になるもんで、通り抜けるだけの人も背のびをして見ていく。
最後のサピを歌っている時さっきからじっと見ていた小太りのおばちゃんがバックをゴソゴソかきまわしている。 ムッ。えらいこっちゃ。こりゃお金を入れてくれるらしい。でも曲はもうすぐ終わる。タイミングをのがすと、目の前にコインは飛んでこないことになる「もう一回サピね」まぶた君に合図をした。
「飲んで〜飲んで〜J「チャリーン」なんとおばさんは5フラン玉を投げてくれた。オアリガトーゴザイーと、どのくらい叫びたかったことか。
こうして7フランの収入を得、パリ公演は無事成功のうちに終了した。
バリの地下道では、このたぐいのミュージシャンがわんさといる。自分たちのことはさておいて、ストリートミュージシャンとして成功する三つの課題を発見した。まずうまいこと。 これは勿論第一条件だ。そして良い場岬を確保すること。(乞食と同じだ、なんて思わないで)そして珍しい、ユニーク、人目をひくということ。これさえそろえば大成功間違いなしだ。人がたくさん集まって収入のあるストリートミュl ジンヤンは必ずこの三条件を満たしている。
あなたもたもいかがかな。
メトロマップのコンコルド駅(赤印)地下通路で初のパリ公演
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TO BE CONTINUED.
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