ついに野宿。
リスボンの夜は長かった
80/08/15
「トーマス・クック」の244ページ、
Table 450を見ると、セビラ→リスボンは、セビラ午前7時35分発でスペイン側国境アイアモンテに11時11分。
国境を船で越えると時差で1時間早くなるから、サン・アントニオ発13時30分のNo2902のRAPまでタップリ3時間待って、それに乗ってしまえば19時15分にリスボンに着く予定だった。
ところが、
この線のタイムスケジュールはメチャメチャで、7時35分発の予定の汽車は7時20分にホームに入ってきたHuelva行きで、Huelvaで10分の待ち合わせで、ガタガタの2両編成に乗り換えAyamonteには11時30分に到着。
そこからどう行くか、目につく表示は全くない。
リスボンの学生だというバックパッカーに連れていってもらって、やっと国境がわかった。
駅から酒場街風なところを通って約10分歩く。
駅前の道を汽車の進行方向に向かって10分歩くと川に出るので右に曲がる。
橋の横に右方向ポルトガルと標識がある。
右に2〜3分BAR街の中を歩き、左に曲がると国境のフェリー乗り場に着く。
スペイン側の出国手続きは何もなく、ポンポン船に近い船で約10分、ポルトガル側のサン・アントニオに着くと、入国に30分かかったが、調べは簡単。
イミグレを出ると、すぐ右側に、これが「トーマス・クック」に載ってる駅かと思うほど動物聞のサル電車のような駅がある。
時間を確認すると12時30分発の汽車は、なんとリスボン着が24時15分なのだ。
辛うじて15時55分発のEXP が22時すぎに着くと聞いて、5時間待つことになった。
さて両替しようと銀行を探すと、8月15日は休日ですべてクローズ。一つだけ開いていた、ポーダーの両替所も、窓口が一つしかなくノロノロ(ポルトガルは仕事がのろいが、ここのノロさは特別だ)仕事をしていて、結局2時間近く並んだ。
エクマド(ポルトガルのお金)がないので昼めしも食べられずにだ。それでもまだ時計は14時。
残りの2 時間はひたすらに汽車を待った。
15時55分発のEXPは一等があり、込み合う二等をしりめに悠々と一等車に。
ユーレイルパスでよかった。
ヨーロッパでは北欧を除き、よほど込む路線以外は、一等はだいていすいてい
て、確実に座れるのがいいのだ。
サン・アントニオを出てファロからは山間部に入ってしまい、急につまらなくなリ寝てしまう. 海岸線をのんびり走ってリスボン/までという話を聞いていたので、こんなめんどくさい路線を選んだのに⋯⋯。
パレイロからはフェリーになり、約30分、22時20分に憧れのリスポンに到着。
船着場からロッシオ広場に向かって歩き、ガイドブックで探しておいた安宿に行ってみたが、全部コンブレ。
まあ、そういうこともあるだろうと、いつものホテル探しが始まった。
が、その夜のはちょっといつもと様子が違った。行くホテルすべてコンブレな
のだ。
この日は休日でリスポンが一番、人でいっぱいになる日だと聞いてあせる。
結局、3 時間近くほとんどそのあたリのすべてに当たったがみんなコンブレ。
完全に冷や汗がでてきた。
いくらケチケチ旅行といってもまた野宿はしたことがないし、イタリアほどではないにしろ、スペイペポルトガルも泥棒に気をつけるべきところなのだから⋯⋯。
休日だからか、夜中の1 時というのにまだカフェはオプンしている。ドリンクと赤いわけのわからをいドリンクでひとまず腹ごしらえをして、さて野宿の場附探しだ。
まずロッシオ駅に行く。わりと明るいのに、何故かパソクパッカーが一人もい
ない。南スペインではたくさん寝袋に入って駅で寝ていたのに。こういう時は、
言葉など通じなくてもよいから仲間が必要なのだ。そのうち最終列車が出たのか、
駅を閉めるので追いだされた。それではとまた、重い荷物を担ぎながら船着き場
へ行ってみる。途中、お巡りさんにホテルはないかと泣きついたが、相手にされ
ない。パァクパッカーは一番信用されにくい人種だからなぁ。
15分ほどで船着き場に着くと、奥にいた、いた。バックパッヵーが十人ほど寝
袋を出して寝ていた。その隅に寝袋を出してと⋯⋯と思った時、最終の船が着いてゾロゾロお客が通ったあと追いだされた。
パチパチ電気を消されて真っ暗な道路にほうりだされた。
こうなると一番ズズ汚い奴が、さっそく近くに場所を探しはじめる。
いつも探しているから、こういう時は強いのだ。
四、五人が彼にくっついて行ったので、我々も一緒に行く。
道路をはさんで朝市のための屋台がズラッと並んでいるところがあって、リーダーがさっそくベニア版を拾ってきて、屋台の陰で風のないところを選んだ。
真代はボール紙を拾ってきて、その上で寝袋に入って、みの虫のようになった。
結局ここに来たのは七人だった。自己紹介が始まったが、みんなそれぞれ言葉が違ってフランス語、ドイツ語、英語が入り交じる。
リーダーはザンビアから来たという。
他にイタリアの男二人ドイツの女の子二人と我々だ。
少ししゃべっていたが、あんまり通じないのでそのうちみんな寝はじめた。
女の子たちも平気で寝袋で寝てしまう。バックパックは横に置いたままだ。
我々はバックパックによりかかっているけど、まだ心配で眠らないことを決意。
真代はもうスースー寝はじめた。
ベッドではピチッと布団が揃ってないと寝られないとか、いろいろうるさいが、汽車とか、こういう時はもうガンガン眠れるらしい。
リスボンは、夜中の2時、3時まで目の前の道を歩いていく。
ファド(ポルトガルの歌謡曲)のステージが、夜中から始まるというお国柄だから、実に夜更かし。
でも、これが助かった。
交通がパタっとなくなると、どこから泥棒が出てくるのかわからない。
さすがに4時頃になると人通りがなくなり、睡魔に襲われ、ウトウトとして、ハッと気づくと40すぎのぐらいの男がまわりをウロウロしている。
こっちが起きたのに気づきスーっ といなくなったが、こいつは5時すぎにもう一度あらわれた。
外人組はグーグー寝ているのだからいい気なものだ。
6時になっても空はまだ暗かったが、早く夜が明けてくれないかなと、ただそれだけを折って憧れのリスボンの第一夜を過ごしたのだった。
この日でミソがついたのか、リスポン滞在中はついてないことばかりで、
4日の予定を2日にしてマドリッドへと急ぐことになる。
ああリスポンの夢やぶれたり。
しめくくりにリスポン→マドリッドの夜行で今でも伝じられないが、ベストのポケットの中から現金6 万リラ(イタリア)他入りの財布と電卓だけ盗まれるという、まるでマジックのような目に遭った。
_____________________________________________
…… TO BE CONTINUED
_____________________________________________