カルカッタからの手紙
80/04/20
来ただよゥ、来ただよゥ── INDIAに来ただよゥ。
地獄だよゥ。地獄だよゥ。まさに着いた夜のカルカッタ(2001年にベンガル語の呼称であるコルカタに正式名称が変更)は地獄。
夜8時40分にカルカッタに着いたのはいいけれど、まずイミグレでひっかかったのね。できすぎた顔の兵隊みたいなオッサンに、T・C 8,000ドルは金額がでかすぎると申請書を書かされ、税関でカメラとテレコの機種までチェックされて、表に出たのが9時30分。pepe が言ってたようなタクシーの運ちゃんが集まってこないわけ。目つきの悪い男が寄ってきて「私はガパメントオフィサーです。私についてらっしゃい」てんで、タクシーのところまで連れていかれ、ツーリスト用のタクシーに乗せようとしたのね。
How much?と聞いてもメーターだからわからないというので、しつっこく聞いたら、50ルピーだというのでアホいうな!教えてもらった怒りをまずぶつけてみたのね。
もっと安くしろと言ったら、じゃ乗らないでいいからパスで行けという。リムジンがあるというのだけれど、あたりが真っ暗の中に電気のついてないバスが確かにいるわけね。大見得切った手前仕方なくバスに乗り、車掌みたいなオッチャンに、いつ出るのと聞くと、10時20分ということで待つことにしたのだけど、我々の他にも客がいない。しかも電気がついてなくて、まわりも真っ暗。
10時30分になってもウンでもスンでもないので、重い荷物を担いでタクシーの方へ行ったら、さっき大声でToo expensive(高すぎる)なんて言ったものだから、みんな知らんぷり。
仕方なく暗い中をまたさっきのバスに戻ったわけ。
多少ブルーになった頃、国内線が着いたみたいでお客が一人二人とふえて満員になった(まだ電気は点いてない)。やっと出発したのが10時50分。最終的にはオベロイの予約があるけど、470ルピーは辛いのでリットンホテルに行こうと思い、運ちゃんに降ろしてね、降ろしてねと懇願。
マヨはボールペンの方がよいと申しますのを、私がケチって舞妓さんの絵はがき一枚で頼んだのでございます。
街に向かって行くと、だんだん地獄の様相を見せてきた。
ネオンなんかどこにもない。真っ暗の中に廃墟のような街がつながり、道端にいっぱい何か黒いものが転がっている。
マヨと何かなと言いながらじっと見ますと、な、な、なんとそれは人なのです。
重なりあって死んでいるようにずっと……もう二人とも言葉もなく、ただジっと目をあけたままになっていました。たまに向こうの方から真っ暗な中を、人がぎっしり釆ったパスが、お化け屋敷のように通りすぎる。リットンがもし満員だったらオベロイが近いといっても100メートルはあるので、荷栃をしよってホームレスの中を歩くのかと思ったら.汗が1本ツーっと額をかすめたのでした。
リットンで降りたのは我々のほかにインド人が五、六人。暗いオフィスに電気がついてオフィサー にインド人が懸命に泊めてくれと言っているのに、満員だから、どこかほかへと言われてる。
我々の順番になって死ぬ気で、I want to make a reservatlon two people from Japan!
といったのです。そしたら何とOK 。あー、よかった。
a/cはなくてFanだったけど、広い部屋でガイドブックには1泊75ルピーとあったけど、120ルビー+12ルピー{サービス料)に値上げしていました。
夜が明けましたが、一歩表に出ますと、いろんな兄ちゃんが寄ってきてカメラを売ってくれ、テープレコーダーは持っていないかとうるさいのなんの。こじきは思ったより少ないけど、足がない者、目玉がとびだしてプラプラしてる者、ひざとおなかが何故かくっついている者、多種多彩。
昼めしを食おうにもどこに入ったらいいのか全くわからず、まして夜など、ホームレスがゴロゴロしてる中を歩いてレストランにも行けないし、二人二人で協議の結果、隣の3食付き170ルピーのフェアローンホテルに22日に移ったのです。
こんな街は早く抜けだそうてんで、ダージリン行きの、Eastern Railway Booking Officeに行き、切符が欲しいというと、ダージ
リンはPermisionが必要だから、Permsion officeへ行けという。そこに申請に行くとできあがるのは明後日。しかたなく2日後の23日取りに行って、きあ切符を買おうとツーリストオフィスに行くと、いろいろ書類を作ってくれ、これを持ってチケットの販売カウンターのN03 に行けという。やっとそこを見つけて行ったら人がいっぱい並んでる。しかたなく列の最後について並ぶ‘こと1時間以上(それでも十五人くらいしか並んでなかったのに)、ところが切符を作るノロノーロ男が、涼しい敵でカウンターの前にclosedのふだを置いたのです。明日の朝10時からやってるからというが、インド人に聞くと朝6時からみんな表に並ぶという。
あー 、もうやだ!頭にきてホテルに帰り、もうダージリンには行かない!ということになって今朝インディアン・エアラインのオフィスで、26日土脳のカトマンズ行きの干約をしてきました。
もーやだ、こんな街。でもここんとこだいぶカルカッタの街にちなれてきて狭い路地も歩けるようになっただよ。「インドを歩く本に載っていた安宿ホテルパラゴン(l 泊 8ルピー W15ルピー )にも行ってみたけど、ワシらのフェアーローンホテルはヤモリもいるけどきれいだぜ。
《 真代のコーナー
》
だいたいこんなとこですが、豊かな気持ちで安上がりな旅をしようというのがモットーなのに”まぶた”が毎日何度も何度も、コーラやジュースやビールを飲んで、おやつ代が大変。
そんなことないよ。これは暑い土地を旅する必要経費です。
いいえ、常識をはるかに超えています。水を飲め!
”まぶた”がオナラマンになりました。
いいえ遣います。これはホコリにまみれたカルカッタ空気を清浄しているのです。
おまえの方こそガンガンメシ食って、おなかが痛いといってるくせに下痢がやっとなおったくせにえらそうなこというな!!
この汚れたカルカッタで部屋にいる時ぐらい静かに滑らかに過ごしたいのに、オナラ反対!!
るせーこのグウグウ寝女!
この町にいるとこんなふうな情緒不安定男ができるようですね。
るせー早くセンタクしろい!メシの時間だ!
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カルカッタにて
80/04/23
昨日の夜は、窓の外で工事をしていて人の声や、物音がうるさくて眠れなかった。
だいたい、カルカッタの工事ときたら …… 。
TO BE CONTINUED
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インド・ネパール旅行の宿命GERI
80/04/26
カルカッタを早く出たい一心で出尭の1日前にフェアローンホテルをひきあげて、
空港のレストハウスに移った。
少し早いけれど、空港まで歩いて15分はかかるので、10時30分出発。
エアコンのきいた涼しいエアポートのロビーでのんびりしていると時間になったので手続きし出国税1人50ルピーを払うとカウンターで飛行機が遅れているのでめしでも食ってこいと食券をくれた。
レストランの奧のバイキングコーナーでめいっぱい食べる。
まぶた君は気分が悪いと食欲がない。
飛行機はコロンポから1 時間遅れて到着。2時50分にカルカッタ空港を離陸した。
ヒマラヤの山々に囲まれたたカトマンズ空港は、ここが国際空路かと思うほど素朴で小さかった.。空港内の銀行は一回に50ドルしか両普できない。
外に出ると、お決まりの、いろんな子供や大人ごっちゃまぜの団体にかこまれる。
シャワーがあるとかセンターに近いとか、みんな勝手なこと言って自分のナワパりのホテルに連れていこうとする。まぶた君は一歩も動けなくなり、大声で「ヒマラヤンビューホテル!」というと、一人がサッと手をあげて、私がフリーで連れていくという。
その男のタクシーまで行くと、フリーと言ったくせに60ルピー(ネパール・ルピー NR)と言うので怒って紙に20NRと書き無理やりその横にOKと書かせる。こうでもしないと信用できない。
タタンーが走り出すと、運ちゃん、客引き、他に関係者二人に我々と六人も乗っている。
案の定、客引きはヒマラヤンビューはno goodで、最近値上がりしたからこっちの方が安くてきれいだと、ホテルのネームカードを見せだした。
客引きが暫命に安いとすすめるので、一回だまされてみることにして、そのホテルを見て気にいったら泊まるけど気にいらなかったらヒマラヤンビューに連れていけ、そして、もしそのホテルに決まったらタクシー代ただにしろというと、客引きは多少悩んだが0Kした。
車の中で「ゴダイゴが2 か月ほど前にコンサートをしただろう」というと、そいつは「私はゴダイプの友達だ」という。だから「私は歌手でゴダイゴと同じレコード会社。やっぱり友達よ」というと、急にギクッとしてすっかり乗り気になりホテル代安くするように交渉してやると宮いだした。
実際に到着してから交渉してくれホテル代が安くなった(ツイン50NR→41NR)。
ホテルスナッグはニューロードのつきあたり宮殿あとのゴチャゴチャしたもう全体が遺跡という感じの広場を左に入った、えらくホコりっぽいところだったが、いかにもカトマンズらしかったので泊まることにした。
部崩に入ってホッとしたら、まぶた君が急にグッタリしたので熱をはかると8度をこえていた。
おなかが痛いというので宿命のGERIを直感。
何だか私までおかしくなってきてその晩から二人してヒマラヤGERIの洗礼をうけることになった。
インスタントみそ汁を持ってきたのを思い出し、きっとおなかによいと思ってホテルの子供にボイルドウォーターを頼んだ。しばらくして持ってきたお湯は賞色っぽく、小さなモロモロが中にうごめいていたので、沈むのを待ってから、みそ汁をつくった。
まぶた君は「オイシイ、オイシイ」と言って飲む。「あっワカメだ!ネギだ!」と二人で大さわぎ。おなかにしみこんでいく。
それでもまぶた君の熱は、とうとう9度近くまであがり、ウンウンと苦しそう。その晩二人は、
定期便のように下りトイレ行きの特急を走らせたのでした。
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ベナレスの雀物語
80/05/04
拘熱のベナレスでは、政府直営のツーリストバンガローに泊まった。ツインで25ルピーの部屋に連れていかれると、表に面した広い窓の上が割れていて、雀が自由に出入りし天井ファンにとりつけてある大きなファンの根っこに巣を作っていた。そして、よく見ると、その巣から死骸が一つぶらさがっている.。かろうじて足がひっかかっているだけでいつベッドの上に落っこちてくるかわからない。すぐポーイを呼んでとってもらったが、その時ついでに巣もとりのぞき、きれいにしてしまったのだ。
そうしてこの可哀相な雀物語が始まる。
この日は、早めに寝たがもう地獄の暑きだった。どうしようもなく寝苦しい。ベッドは電気敷毛布を強にしたような感じで、どこに手を伸ばしても足の位置を変えても熱い。うだる暑さで起きると、まだ寝てから2 時間ぐらいしか経っていない。ベッドの上でハアハアいい、頭をかきむしり、ドタパタ暴れまわって、やっと空が明るくなりはじめた。隣の部屋のスイス人カップルも、この暑さにまいってしまって夜が明ける前から廊下に椅子を出してしゃべっている。4 時頃から2 羽のオスとメスの雀が窓とファンの間を往復している。
私達がくるまでは、しばらく部屋に人が入らなかったらしく幸せなカップルだった小島が、人間の勝手な巣払いと、夜通し回すファンのせいですっかり不仲になってしまった。メスがいやになって出ていってしまったのだ。オスはやせていて小さいけれど、働きもので情熱家。何度もメスを呼びにいっては連れ帰るがメスは、ファンの上のもとの県だったところをのぞいてみて、「ワラがはいってないじゃない」とまたプイッと出ていってしまう。 オスは一生懸命小枝やワラを運び、そのたびにメスを連れてくるが、メスは窓のところから中に入らない。オスは何度もファンと窓を往復して、「ほら、ずいぶんたまったよ」とか、フアンが回っていても、天井すれすれに飛べば大丈夫だよ」と熱心にメスにすすめている.。一回に1本か2 本のワラをくわえてきてオスは一生懸命巣を作る。メスもそのうち出ていかないで、窓の上から見てるようになった。 少しずつ運んできても半分はファンにあたってベッドの上に落ちてしまう。それでもオスは運んではまた出かけていく、 そのうちメスも小枝を運んでくるようになった。 オスの根気の勝利である。ずっと見ていて本当によかったなあ、と嬉しくなった。
私達人聞が出かけて部届にいない間が、この二人にとって幸せな時間だったはずなのに、1日おいた次の午前中悲劇は起こってしまった。
その日は朝早くから停電でファンは止まっていた。そして私達はプールに行ってl 日中涼しく楽しく過ごし部屋に戻ってきた。ファンがカランカランと音を立てて回っていて、部屋のすみで働きものの小鳥がじっと横たわっていた。
死んでいる。
私のせいだ。
停電で止まっていたファンに気づかず、スイッチを切らないで出かけたので、途中電気が入り急に回りはじめて、それにあたって死んだんだろう。どこかにはねとばされて、それでも窓の方へ移動し、そζで力早きたんだろう。傷口はどこにも見当たらなかった。静かにひっそりとそこにいた。
白い紙にソッとつつんで、ベッドの上のワラを片づけて、屋上に上がった。小鳥を空に一番近いところにおいてあげたかったから⋯⋯。
しかし屋上はカラスでいっぱい、つつかれるといけをいので、しばらくしんみりとしてから部屋に連れて帰つた。いつもならドアを聞けて、ベッドの上に散らばっているワラくずや小枝などを見て、アーアーなんていいながら払いのけていたのに、今は何もなくて真っ白のシーツが悲しい.。
しばらくしてメスが1本枯れ草をくわえて帰ってきた。他の大きいオスが追いかけてきたみたいだけど、ファンの上の巣の中に入ってじっとしている。最愛のオスが死んだのを知っているんだろうか。見てたんだろうか。他のオスが窓のところでしきりにメス歩呼んでいる。そのうちファンのところまで飛んできて、メスを誘って一緒に行こうといっているが、今のところメスはじっとしている.。
あのやせたオスが作った巣の中で⋯⋯。
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ベナレスの砂嵐
ベナレスはとにかく暑い。持参した紙の温度計の40度Cまで色が変わっている。もう暑くて暑くて昼寝するにも、ベッドが湯タンポみたい。そこで我々は文明社会においては、とても想像できない清涼法を尭明した。
まず服を着たまま水シャワー(といっても半ばお湯みたい}をあびて、グッショリになる。
次にパケツに水をくんで、部屋中中コンクリートの床に水をしっかりとまき、
ついでにべッドも水浸しにしてその上にパタッ。これが掠しいのなんの
って、まるで冷雌庫。
学校で習った気化熱の原理を灼熱のインドで利用したのだ。
しかし、体にはよくないね。乾燥しているから、2 、3 時間後にはもうバリンパリン。
そんなベナレスの2 日目は、風が強かった。
昼寝した後部屋にいると、急に部屋の中がほこりぽくなったので、
空気を入れかえようと窓を開けると、逆にモクモク砂ぼこりが入ってきてあわてて閉める。
初めは何がなんだかわからなかったが、ぬれタオルで鼻と口をおおい、
外を見るともう1メートル先も見えない。
おまけに停電のダブルパンチ。
勿論インドでの停電は日常茶飯事だけれど、こういう時は辛い。
ツーリストバンガローの食堂にタめしを食べに行くと、
テープルの上はふいてもふいてもザラザラ、食べものもジャリジャリ、
口の中も砂だらけ、とまさにこの夜は砂地獄。
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恐怖のチャイニーズ・レストラン
80/05/06
ツーリストバンガローの真ん前にあるレストランは、
チャイニーズの看板は出しているものの、いつ通っても客が一人もいない。
しかし、なんせ、おなかが減っていてて商店街の方まで出る気力はなかったので入ってみたのだ。
ほこりまみれの椅子をはたいて座り、人を呼ぶと、えっ?お客さん?とまるで信じられないといった顔で、17、8歳の少年が出てきて、我々の頭の上だけのファンだけ回す。
何かコメディで”5年ぶりの客”みたいなコントがあったのを思いだしておかしくなったが、
まさにそんな感じ。
メニューは汚れているが、ちゃんとあった。
フライド・ライスとスプリングロール、ミックスベンタプルとピールの冷たいのを頼むと、
少年はニッコリ笑って調理場にひっこんだ。
きあ.それから待つこと30分。
ウンでもなければスンでもない。おなかがすいているから近くにきたのにと頭にきて調開場にどなりこむと人がいない。
そこにあった空間は調開場と呼ぶのをためらうほど荒れていた。
もうちょっと奥へ入って「ピールはまだか?」と聞きに行くと、
少午がしゃがんで水道の水でピールを冷やしていた。
ちょっときまり悪そうにしていたが、そのピールをテープルに運んできた。
しかし生ぬるい。水道の水で冷やしたって⋯⋯と、怒る気にもなれず、ひとまず「氷もってきて」というとこいつはすぐ持ってきた。
ちょっと深めの皿にわらにまみれたくずれ氷が人っている。
ていねいにわらをとってコップに入れたころには、ピールの気はぬけている。
あーあ、もう早く料開もってこい!と言ってからかれこれ30分経つころ
フライドライスが出てきた。少年の顔はやっと作品を仕上げた高足感にあふれでいた。
「ね、これフライドライス?」
質問にコックリとうなずくと、次の作品にとりかかるべく調理場にさがった。
それはフライドライスというより炭のかたまリという感じの真っ黒な小さなかたまりの集合体だった。
「2 年使つてないほこりまみれのフライパンに水分の蒸発した、ねとねとのソイソースを使った焼きめし」とい
う感じ。
実際テーブルの上にあるソイソースのピンの中のしようゆは、きかきまにしても動かなかった。
そうしてるうちに、ミックスベジタブルができてきた。
もう言わなくてもわかるとおりそれは黒いかんぴょうのようになっていた。
もう完全に顕にきて、少
年にスプリングロールのキャンセルと帰ることをつげると、
何故か、向こうもホッとしたようだった。
彼は彼なリに悩んだのかもしれない。くるはずのない客が
きたから。
それでも私は挑戦して食べ、正露丸をのんだ。
女ってすごい。
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商売熱心リキシャ兄弟
80/05/08
アグラではリキシャで市内観光をすることに決定。
タージマハルでは靴を脱いで入る
1日15ルピーというので、半日7.5ルピーでOK したリキンャ少年が、朝8時にホテルに迎えにきた。
さすがに二人乗ると重いようだつたが、まずはタージマハールに向かった。
すると途中でその兄という男がスッと現れ、今日は暇なので料金は同じでよいと言って、まぶた君をそっちに乗せる。心配して確認すると「僕達は貧乏じゃないから、お金は欲しくない。友達にになりたいんだ」と言って、いろんな外国友達のことを話す。
何だかあやしいな。それに、走っていると「あれがいとこだ」とか
「今、通りすぎたのがおじさんだ」とか言ってあいさつをしている。
変な兄弟に乗せられて、タージマハールに到着。リキシャ兄弟は、門の表で待っている。せまい街だから逃げてもすぐわかるので落ち着いたものだ。
タージマハールは想像していたよりずっときれいだった。光り輝く大理石の宮殿にその昔、
死んだ妃アルジュマンドのために建てたシャージャハン王の愛の深さを知る事ができる。
出口ではリキシャ兄弟がチャイを飲みながら待っていた。
おいしそうだったので、我々も飲むことにした(60パイサ)。
チャイはやかんでぐつぐつ煮たミルクティだが、ものすごく甘い。
でも、この甘さは灼熱のインドにピッタリで、不思議とサッパリした昧に感じる。
リキンャ兄弟は、アグラ城に向かう前にお決まりの宝石店や服屋に連れていった。
後に別のリキシャマンに聞いたところによると、
ー軒お店に連れていくと50パイサ(約十五円)、客が何かを買えば、買った金額の25%がリベートとして入るという。
いつもはそういう店に連れていかれても、まず何も買わないけれど、アグラ城の後で連れてゆかれた政府直営の石細工ファクトリーでは、きれいな大理石コースターや、カップなどを40ドルほど買った。
お店を出ると、
リキンャ兄がまぶた君にいくら買ったとさかんに聞いている。
あまりしつこいので教えてやると、顔を真っ赤にして怒った.。
そのお店にだまされたらしいのだ. 実際よりずっと少ししか買わなかったと言われリベートが少なかっただ。おかしくなってプッと噴き出した。
観光各をいつも騙しているリキンャマンがもっとうわてのインド人に届される。
なんてインドらしいのだろう。
たいてい連れていかれたお店ではチャイが出される。
買っても買わなくても、出てくるのだから必ずいただいた。
どこ行ってもリキンャの運ちゃんとはけんかばかりしていたし、
大きらいな職業の
一つだったが、不思議とこのリキンャ兄弟は憎めなかった。
まぶた君にリキシャ兄が「結婚して4年目なのに、何故子供がいないのか」と聞いたそうだ。
「しばらく長い旅を続けるので、旅が終わって日本に帰ったらつくるつもリだ」とまぶた君ががいうと「No!そんなはずはない。
俺が絶対よい子供ができる方法を教えてやろう」とリキシャ兄
「
まずMake Loveしながら、頭に神を描いて、おまえが上にのって下からこう⋯⋯」
と走りながら、動作の指導までしてくれたらしい。
また何軒か知り合いの店をひっぱりまわして、帰りにラッシーをおごってくれた。
友達のまつげの長いおじいさんが作るラッシーは、インド中どこよりもおいしかった。
病みつきになり翌日も「まつげおじいさんのラッシー」を飲みに行ったら、また彼らに会った。
二人とも新しいシャツを着ていたので
「Newか?」と聞くと恥ずかしそうに照れ笑い。
昨日、ずいぶん我々を連れていったのでリベートがいっぱい入ったのだろう。
兄は井上順にソックリだったなあ。
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バンガロールで医者にかかった次の日に
とにかくここんとこ毎日、息の詰まる思い。
まぶた君はまる2日、部屋から一歩も出ない。
熱が下がる保障もないし、旅の計画を変えることもできない。
私は食料を調達してくるだけ。コックローチをかけられた、ゴキブリの気持ちがわかる。
苦しいからなんとか暴れて、違うところに行けば楽になれるだろうとコソゴソはいだしてくる。
今は別の土地に行きさえすれば、うんと楽になれそうな気がする。
マブタ君、第一ラウンド早くもダウン
ボンベイでも、ソ連でも、隣の町でも、どこでもいい。
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カンパ・コーラにグルコビスケット
たいていの店の看板や、アイスポックスはコカ・コーラのものだったが、
実際にコカ・コーラを置いている店は1軒もない.。
ガンジー女史の排米主義政策と共に、外国製飲料水すっかり姿を消し、
すべてメイド・イン・インディアになったようだ。
ただし日用品でメイド・イン・チャイナはずいぶん入っている。
Campa Cola
きて、毎日のように飲んだのが、Campa・コーラだった。
あれだけアメリカに背を向けたのに、ロゴタイプはコカ・コーラにそっくりというのがおかしい。
他にもリムカ(レモネードにちょっとスパ
イスが入った味)、
サムズ・アップ(コーラ)などとあったが、カンパ・コーラのすぐれた方に一歩譲っていたみたい。
なにしろ生水が飲めなくて、
うだるように暑かったからすぐ手が出てしまった。1本1ルピー(三十円)だったと思う。
コーラとビスケットの広告
ビスケットではなんといっても、グルコビスケットが光っていた。
ラジオメーカーでも、Toshibo なんでいうのもあるくらいで、日本製品の影響大でありました。
■ Campa Colaって現在 How match?
40年以上前とは為替レートがそもそも違う。
1973年のインド通貨1ルピー(100パイサ)は35円前後だったが、
1980年のMAYOさんがバックパックかついでいた頃の1インドルピーは28.8191円だった。
本文で1ルピー30円換算してるのはドルレートからルピー換金していたためかな?
インドはもともとイギリス領で、
1975年9月まで英ポンドにリンクしていたが、1980年代は経済成長率が高まった一方で、
財政赤字と経常収支の悪化が進み、通貨の切り下げを余儀なくされた。
1980年代初めは1ドル=8インドルピーから1980年終わりには1ドル=17インドルピーまで下落。1980年代前半は米国の高金利政策による米ドル高も対米ドルでインドルピーが下落したことに影響を与えたと考えられているとネットの解説。
結果、2022年5月30日現在の公式為替レートはなんと
1インド・ルピー=1.64 円だ。超ビックリ!!!
しかも、1ルピー=100パイサは変わらずで、
インドの通貨、ルピーで使用される通貨記号「Rs」が2010年7月15日通貨記号が「₹(Indian Rupee symbol.svg)」の採用された。
世界の経済に二度ビックリ。
2022年5月24日の日米豪印首脳会合(QUAD TOKYO2022)に出席した13億5,000万人の人口大国、かつ中間層の拡大に伴う巨大な国内市場と、9%近いGDP成長率を誇るインドのモディ首相は如何に国を守り、すすめるのか?
現代のリキシャやクルマの運転手さんも大好きなCampa Colaはすでに瓶詰めじゃないし、
いくらなんだろう?
Amazonでも扱いがなかった。ッて事は幻のCampa Colaになってしまったのか?
QUAD TOKYO2022
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ニューデリーは大都会
80/05/14
ここはプロブハットホテル。窓の外はすぐコンノートプレイス 。
気の弱い息子に圧力をかけて、85ルピーというのを75ルピー値切ったホテルだ。(彼はあとで父観にしかられたらしい)
街の中心なので朝は車の音で目が覚めてしまう。
ニューデリーは、さすがに首都だけあって大都会だ。
なによりもここにはネオンサインがあり、夜道が明るい。これはすごいことだ。
町中をのし歩く像。デリーで
今朝はコンノート広場のまわりの別ブロッグに”エアコン地下街”があると聞いて出かけた。
”エアコン地下街”はつい最近完成したらしく、平日なのにかなり込み合っていた。
地下街といっても天井の低いところに小さな店がギッシリとつまって、多少息苦しい感じがするが、値段は他の地下のパザールにくらべ当然高い。
ここのスタンドには、禁酒のはずなのにピールが置いてある。
た
だしX BEERと書いてあるのが気になったが、ものは試し飲んでみた。
ウッ甘い! なんとも言えない味だ。
同じBEERの名前がついていてもアメリカのルートビアーとは根本的に発想が違うのだ。
こっちは禁止されているビールをなんとか法律内で雰囲気だけでも味わおうという、
せっぱつまった複雑な昧がした。
午後の一番暑い時間は、昼寝で過ごす。
インディアンサマーに旅する人の最低限の心得だ。こんなところで病気になったらたいへんだ。
起きてからも暑かったので手紙など書いて過ごし、7時30分に
夕食に出かけた。
今日はピールが飲めるレストランをさがすことにした。
有名なエンバシーレストランでは人リ口でありませんと断られた。
二ルラホテルのチャイニーズレストランに行って聞くと「NO 」言いつつ、
そっと目くばせをして俺についてこいという。
せまい廊下を歩いていくとドアがありここに入れという。
おそるおそるドアをあけると中は薄暗くBAR風な作りになっている。
外人ばかりがまるで悪いことをしているようにこっそり酒を飲んでいる.勿論、窓などどこにもない。
カウンターの中のお兄ちゃんにビール1本頼んだ(15ルピー)。
おつまみなんかあるはずもなく、二人で明るくやろうとしたが、
まわリが何かすご〜く暗い雰囲気なのでこそこそ飲む。
ちっともおいしくなかったな。
外では見張りみたいな人が、ドアのあたりをウロウロしてるみたいだった。
1本だけでそこを出ると、階下のマクドナルド風インド人向けファーストフードの店に入って、マサラドサ、ベジタブルパーガー 、サモサなど食べた。
ここもニルラの経営。ホテルの他にサラダバー 、アイスクリームスタンド、本格レストランと相当手広くやっているのだ。
ホテルへ帰って宿代を払う。明朝6時発のピンクンティエキスプレスでジャイプールへと向かうのだ.。
近代都市とはいえヤモリ君がいることにかわりはなく、今夜も五名の選手が揃った。
ヤモリは常に壁にへばりついていられるものと思っていたが、壁からすべり落ちるドジなヤモりを見てから信用できなくなった。
今だって壁から天井に移動してさかきまに歩いている。
落ちるのではないかと気が気じゃなく、シーツを頭からかぶって寝ていたら、
まぶた君が歯ギシリをして、急に口の中をモグモグ何かをほおばるような音を出しはじめた。
真剣に、ヤモリが口の中に入ったのではないかと悩み、夫不信におちいった夜だった。
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プロブハットホテルのエア・クーラー
スイッチを入れたとたん、ものすごい音とともに涼しい風が舞いこんできた。
北インドでは高級ホテルでは勿論、エア・コンディショニングが完備されているのだけれど、
我々の泊まろうとする中くらいホテルには、エア・コンのかわりに、よくこのエア・クーラーと称する冷房があった。
ホテルのお兄ちゃんが決まって胸をはって
「この部屋はエアクーラー付きです」というところをみるときっとすぐれたものなのだ。
ニューデリーで泊まった、コンノー卜広場に面したプロブハットホテルにも、立派なヱアクーラーがあった。
まず、このしくみを紹介す
ると、
しくみだけをいうなら、日本でも由利徹かなんかのCMで有名だったウインドファンの外側に水が常に流れ落ちていると思って欲しい。
だから冷たい嵐がくるのだが、このファンは、大音響をともなって回るのが普通だ。
ファンをつつむ大きな箱がありその片面がわらのようなものがビッシリ。
つまり、
そこを水がチョロチョロ流れてゆく。なにしろ水だし、熱くて乾燥しているので、すぐ蒸発してしまう。
大きなピルなどでは、水が自動的に水道から送られるが、
ここのは、1日二〜三回くらいターバンをまいたオジサンがパケツ5杯の水を運んでくる。
我々の部屋は2階なので窓にはリついて水をかけるオジサンを見ていると、
チップをやらないわけにはいかなくなって、
あーこんなことならエア・コンの方が安あがりかな。
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デリーの銀座レストランですき焼きを食べた
その日まぶた話がどうしてもスキヤキを食べたいと言った。
インドに来てスキヤキなんか⋯⋯と反論したけれど、
強い押しに負けて出かけたところがその名も銀座レストラン。
壁には扇や色紙に揃かれた水彩画がはってあり、窓わくは障子がチョコッとはめてある。
少しでも日本っぽくしようと努力したところがいいが、テーブルやイス、食器などはどこにでもあるインドのレストランと同じ、
ウェイターまでターパンの人がでてきた。
私は日本食はもちろん食べものの中で一番好き。
でもインドならインド、
アフリカならアフリカと、
その原住民と同じものを食べることによって旅を肌で感じ、より有意義な旅行となる⋯⋯なんて
カッコいいことを考えている。
さてさて、スキヤキがしずしずと運ばれてきた。
まあ珍しい。こんなスキヤキ見たの初めて。直径25センチのお鍋いっぱいが、一人分。
グッと嬉しいお徳な大盛りだ。
それではこのスキヤキの作り方を感じたとおりに研究発表してみよう。
まず用意していただくのは、
ここ3か月使つてなかった鉄サピのよくついた鍋。
そこにさんざん揚げ物で使って汚れている油を大さじ三杯入れ油が熱くなったところへ、
大きめのインゲン10本と
キャベの乱切り、
ニンジンの乱切り、
タマネギスライス、
豚肉(宗教上牛肉は置いてない)の薄くないものを入れ、
ジャっと炒めついでによく焦がしておく。
その中に水と少し古めのしよう油を入れ、
涙のしらたきをぶちこみ煮たてます。
ハイ! スキヤキのできあがリ。
⋯⋯この味、想像できる?
甘く辛くも無いスキヤキ、塩をふって食べることにする。
あーあ、だから言ったじゃない、
日本レストランなんて来るんじゃなかった。
ここは一流レストラン。
お金を払う時ボーイが、わざわざここはサーピス料が合まれてませんという.。
チップを要求しているのだ。感じの悪い一流。
それでも、まぶた君はしらたきにいたく感動していて、
文句ひとつなく、
わりと満足そうだった。
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インド最大チェーン クオリティーレストラン
クオリティレストランはインド最大のレストランチェーンで、北インドの大きな都市をほとんどネットしている。場所にもよるがインド料聞からチャイニーズまで、幅広いメニューと一流レストランにしては航段もまあまあ安かったので各地でお世話になった。
我々のインドでのチヤイニーズの注文のやり方は完全に一つのパターンがある。
まず白めしを頼み、メインの肉料理を1品とMix vegetable(これがたいてい一番安くて品物も想憎がつくから)、そして持参したでっかい水筒にボイルドウォーターをいっぱいらう。
ボイルドウォーター、
要するにお湯はヨーロッパなどではお金を要求するところもあるが、何に対してもお金を要求されるインドで不思議にも、どこへ行ってもタダだった。
生水がこわいのでいつもお湯をもらってはせっせと麦茶を作っていたのだ。
インドのチャイニーズレストランはたいてい一皿が大盛なので、ほとんどこのパターンでOKだった。
白ごはんにはのりたまを必ずふった。
白ごはんと言っても日本の銀シャリとは月とスッポッンなので、のりたまの力が必要だったのだ。
アグラのクオリティーレストランの中国人風の支配人は目を真ん丸にして、
「それは何だ?」と質問してきた。
何と説明したらよいか困ったが「ジャパニーズ・フレーク」だというと食べたいという
ので
手のひらにバラバラとのせてやる。
なんとも言えない顔をして、口の中にのリたまをほうりこんだ支配人のおっさんが、
おいしいからくれ、といいだした。
インド人はほんとに好奇心旺盛だ。あと少し残っていたのりたまの袋をあげるとおおいに喜んだが、料理の値段はピタ一文まけてくれなかった。
しっかりしているなあ。
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ピンクシティーEXPに乗ったら
みんなおじいさんになった
なんと朝5時にプロプハットホテルを出発。
コンノート広場のまわりで車の中に寝ているタクシーの運ちゃんをたたき起こして、オールドデリー駅へ。カルカッタほどではないがオルドデリー駅付近も、道端に人がゴロゴロ寝ている。
6時発のピンクシティEXPはもうホームに入っていて、4両目の一等車の入り口に紙に書いた我々の名前を見つけた。車両はかなり古いがなかなかムードのある列車だ。
6時にピーという汽笛とともにガクンッとくる。。あの熱気機関車の乗り心地がまだ、インドでは味わえるのだ。そのかわりススもかなりのもの。
汽車がデリーの市外に出て、畑が見えはじめると、
どこの畑にも決まったようにポツン、ポツン、と人がしゃがんで汽車を眺めている。
何してるのだろうとよく見たら、朝の儀式なのだ。
ちゃんとプライバシーを侵害しないように、一定の間隔をあけてリキミ顔あり。
池のそばは、水洗ということで人気が高いのか、人が多い。さすがに女の人はいないけどね。
やけに眼鏡にほこりがつくので、
ハンカチで拭き取ろうとすると、レンズが真っ白にっている。はっとして、口にタオルをあて席を立つと、シー卜の背中のところに人型の模様ができるほどほこりまみれになった。
結局、4時間かかってピンクシティに着くころには、浦島太郎のように、みんな髪を真っ白にして、汽車から降りたのだった。
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夢のおにぎりピクニック
80/05/18
朝早く起きて、屋上の望様で、山のむこうに昇る朝もやに包まれたサンライズを見物。
ヒルトップホテルとはよく言ったもので、、二つの湖を見おろす絶景の丘の上に建つホテルだ。
インド通の友人が、こことコーチンのポルガッティパレスは、是非泊まるようにと教えてくれたホテルなので、チェクインの時
「友人に絶対ここに泊まれと言われて、日本からやってきた」
とマネージャーに言ったら10パーセントディスカウントしてくれた。
午前中は、まぶた君がインディアンラインのオフィスに行ったので、私は部屋で洗濯ばばあをやった。ここはパスルームに浴槽があるので、水をためて洗濯物をドバッとほうりこみ、
足でグシャグシャに踏みつける真代式洗濯法でいくことにする。
でもこうして一つ一つ手で、いや足で丁寧に洗うと、びっくりするほどきれい。になるのだ。
昼になる前に調理場に行って白いごはんと、オムレツを注文した。
白ごはんは、ちょうどうまく失敗してくれてグシャグシャとしていたので、おにぎりにすることができた。
インドの米はパサパサだから普通は無理。オムレツは、しょうゆをかけて卵焼き風にした。
おにぎりの中身は持参したふりかけ。インスタントみそ汁をポットに入れ、ほうじ茶をたっぷり水筒に入れ準備完了。
湖の真ん中に浮かぶ島(公園になっている)にピクニックに行くことにしたのだ。
ああ、夢にまで見たおにぎりピクニック。
ボート乗り場までは30分ほど歩く。日差しは強いが、海抜が高いので風が涼しくて気持ちがよい。島まではポンポン船が連絡していて、往復で1ルピーとバカ安だ。
湖は人も少なく静かでとってもgood。
島は縦100メートル横20メートルほどの小さな細長い島。島全体が公園になっていて、きれいな花が吹き乱れている。
もうおなかがグーグーいっていたので、さっそく、木陰を見つけておにきりを広げ、バクついていたら、インド人にぐるっとかこまれた。
こんな珍しいもの一生に一度みられるかどうか、といったような奇異の目つきで見つめている。
若者十人の団体が勇気をふりしぼって「それは何だ」と聞いてきた。ジャパニーズランチおにぎりだと教えてあげると、ぐっと打ちとけてきて、自分達は全員ポリスマンで今日はホリデーで遊びにき
たという。
え?
インドの若者はホリデーにデートもしないで、男同士公園にハイキングにくるの?
そういえば北インドでデリーをのぞいてはアベックって一度も見たことないものね。
かわいそう。あまり言葉は通じなかったけれどいるいろ話しているうちに、何故か歌をうたうコーナーになってしまった。
お互いに譲り合って、ちっとも始まらないので、
思い切って私の万から歌うことにして「花笠音頭」で陽気におおくりした。
みんな食いいるように見つめ、終わったら大喝采。きあ、あなた達の番だと
とせかしてもみんな恥ずかしがってだめなのだ。
そのうち申し訳ないと思ったのか、リーダ格の男が気まずそうに歌いはじめた。
しかし長い歌だなあ。あんなに恥ずかしがっていたのに、いったん歌いはじめたら止まらなくなった。適当にきリあげるということをを知らずに、結局15分ぐらいかかって最後まで歌い終
えた。
リーダー格の男が名前と年齢をいうと、みんなが革隊調にどんどん自己紹介。
20歳から27歳までで、島唯一の食堂でゴールデンスポット(オレンジスカシュみたいなの)をごちそうになったあと、どうしても記念写其をとりたいといい、
これも島唯一の街頭写真屋のところへ行って、みんなコチコチになって写真に写ったのでした。
なんかこんなやりとりって15年も昔に忘れてしまったようで、
とてもうれしくなった1日でした。
いいなあウダイプールって。
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★ インドを召し上がれ
インド、何を食べてもやっぱり辛い。
でも「辛いね、辛いね、」と言いながら、最後までペロリと食べられちゃう。 これはインドに入って大食いになったわけじゃなく、日本での練習の成県がでたわけでもなく、カレーを生みだしたインドの環境の中にいたからだと思う。
あの酷暑の中、クーラーもない食堂で、極彩色のサリーにかこまれ、音の悪いラジオから甲高い女の声が音階のよくわからないメロディーを発し、時たまシタールがその音をかき消し、部屋には香のけむりが静かに流れ…… こうなると「カレーもっと持ってこい」って感じになる。
それではインドの食べものについてのお話を始めましょう。
★カレーはおしょう油なのだ
インド肉食べ物は.すべてマサラという香辛料を何十種と混ぜ合わせたもので昧つけされる。これに入れる唐辛子の量が増えるほど、辛くなり我々がスーパーのスパイス売り場で見るカレlーパウダーとは根本的に違うカレーのべースができあがる。
インドのおしょうゆが、カレーのもとマサラなのだ。インドの定食で肉料理と豆料理と野菜料理がセットになっていたら、それは肉カレーと豆カレーと野菜カレー。
キュウリのお漬けものも辛ぁいカレー味。コロッケだって昧つけはマサラだから当然カレーコロッケとなる。アメリカ志向のハンバーガー屋で、普通のハンバーガーを食べったら、カレーパンに近かった。
カレーといってもマサラで煮てあるからサラサラ。日本のようにルーを作ったドロッとしたのはない。シャプシャプしてる。ミックスベジタブルカレー、トマトカレー、ポテトカレー、卵カレー(ゆで卵が丸ごとまたは半分に切って3個分ぐらい入っている)、豆カレー(これも豆の種類だけある)、そしてナスカレー、オクラカレーなんてのもあり、この二つはかなりおいしい。
このカレーをライスやチャパティとよばれるパンで食べるのだ. それでは食べ始めましょう。
★定食を食べる
現地人の多いレストランに入ったら、何がなんでも定食を注文する。
定食はタリといって何種類かのカレーとライス、チャバティ、ダルスープ、漬物、ダヒか、バターミルク、甘いものとなっていて、どこの町でも内容はだいたい同じ。
ただインドはベジタリアンが多いので、ベジタリアンかノンベジタリアンか聞かれ、ノンベジはちょっと高くなる。といっても平均3ルピーくらい。
まず右手はきれいに洗っておこう。
プレートの中央にライスが盛られている、これはいくらでもお代わりしてくれるが最初の量もかなりのもんだ。ライスの上にダルスープをかける。
そして、おかず(カレー)の好きなのを、好きなように、好きなだけかけて、右手でようくこねまわし、形がまとまったら、ポイと口の中めがけて入れる。
またおかずをかけてこねてポイ。
インド人はおしゃべリ好き、ベチャクチャしゃべってる間中コネコネとやっていて話のとぎれたとこでポイと口にほうりこむ。実にウマイ(コネ、コネ、
ポイが⋯⋯) 。
我々にはできなかった。だってシャプシャプのカレーをライスにかけて口にはいるようにまとまるわけがないもの⋯⋯。
でスプーンをもらって食べたのだ。でも試してみて!
カレーが辛かったらダヒというヨーグルトを上からかけ、混ぜて食べると中和される。
辛くて、ハーハー言いながら極限まで我慢し、汗がジトーと、頭の中の毛穴から吹き出したところで、ダヒを口に入れる。
アー生き返った。この感じわかるかなあ。
コーチンからパンガロールへ向かう途中、昼食のため素朴なレストランに寄った。インド人は大食いでパスが止まるたびにそこの店で何か食べたり買ったりするのだ。
で、この素朴なレストランで我々
も昼食をとるのだが、有無を言わせず定食となっている。
まず席に着くとランチョンマットくらいの大きさの緑色の大きな葉つばをテープルに一人ずつ置いていく。
なんとよく見たらパナナの葉っぱ。
それも部屋の隅で使いおわった葉っぱを、パケツにつけて、ネズミ色のゾウキンでふいている人がいる。次にゴミ入れのポリパケツのようなものにライスを山盛りにした人が来て、そのパナナの葉っぱの上にヒシャクで一杯、ホイッと入れていく。このライスは少しピンクっぽくて真ん丸のお米だ。
その次に何種類かのカレーのお鍋を持った人が、葉っぱの上部にシャッ、シャッ、シャッ、と三種類のっけていく。ベジタリアンかノンベジタリアンか聞いてからね。
そして最後に小さなアルミのカップに入ったダヒと豆を甘あく煮たデザートを置き、黄色がかった水が入ってるコップをテーブルの真ん中にガシッと四つぐらい指をつっこんで置いていった。
これが、ここの定食なのだ。
まぶた君は、この頃、
もう一切のインド食が食べられなくなっていてパナナの葉っぱ定食をムシャムシャ食べる私の横で、グリコのピスケットとチャイではない紅茶を二杯飲んでいたのです。
★チャイとサモサ抜きにインドは語れない
インドのチャイ、一口でいうと、葉っぱをたっぷり入れてグツグツ煮立てた紅茶に同量のミルクと砂糖をドパッと入れた飲みもの。
カップ一杯に対し最低でもスプーン山盛り三杯の砂糖が入っている。
チャイ屋さんの商売道具はまず紅茶の葉っぱ、そして砂糖の袋(茶色のザラっとした粗悪な砂糖)、水の入ったつぽ(これで紅茶を沸かし、コップも洗う大事なもの)、ミルクの入った鍋、コンロ⋯⋯れんがの聞に木くずで火を起こしたものや、もう少し文化的な形のあるコンロに炭を使ってる人もいる。そして茶こしとカップ10個もあればよい。
それからチャイを沸かすお鍋。
この鍋にお水を人れ、葉つはを入れ、グツグツと煮立ってきたらミルクをタップリ入れ砂糖を勘で手際よく入れ、もう一度グラッときたらインドのエッセンス(何かしらないけど香料)を人れ火から下
ろし茶こしを使ってコップに注ぎ入れる。
熱々の甘々のチャイを、汚い地端であまりコップに触れないように、すすりながら飲む。
非常にうまい。
コップがどうも不潔そうだったら、自分専用のを持ち歩いてそれに入れてもらってもいいし、素焼きの使い捨て茶碗を使ってるチャイ屋さんもいる。チャイはだいたいカップ一杯で50パイサ(十五円)
くらい。暑いところで冷たい飲みものもいいけど、この甘いチャイはインドにピッタリ。
インドの街角には、チャイ屋さんと同じくらいスナック屋が多い。
代表的なのがサモサ。揚げギョウザのインド版。大きさは上品な女の人の握りこぶしぐらいあって形もそんな感じ。中身はグリンピースや、ジャガイモに少し野菜を入れたカレー味で、それを皮に包んで三角っぽく握り、油で揚げてある。
揚げたてのサモサニつとチャイで庶民の昼食、夕食は立派に成り立つのだ。サモサ1側70パイサか80
パイサ(二十五円くらい)。
幻のサモサ売り娘
サモサ屋さんは、サモサのほかにテイキアという三笠まんじゅうくらいの大きさのカレーポテト包みお好み焼きをじゅうじゅう焼いている。ちょっと脂っぽすぎるみたいで食べなかったが⋯⋯。
それとパコラという天ぷらも揚げている。これはまさに天ぷらで町に多いのはチーズパコラ。
固いチーズを鉛筆のように細長く切って、衣をつけて揚げる。レストランでは、カリフラワータマネギ、
卵パコラや、魚パコラカレー味のパコラ、いろいろとバラエティーに富んでいる。
それともう一つ町で揚げているものにプーリがある。
プーリは小麦粉を水で練ってつくるチャパティと同じタネを、直径10センチくらいに丸く伸ばし、油で揚げるとぷわぁんと膨れてバリパリになる。
これを辛いカレーと一緒にバン代わりに食べるのだ。
★冷たぁい飲み物のチャンピオンはラッシーだ
インドを語るのに抜かしてはならないものがもう一つ。ラッシーなのだ。
ラッシーとは、ヨグルトセーキのこと。もちろん道端でチャイ屋さんと同じようにラッシーも気軽に飲めるし、高級、低級を問わずレストランでも必ずある。このおいしさは絶品。
我々がインド一うまいとしてるアグラのまつげおじさん(まつげが真っ黒で長くて密集していて、その上に天然カールされている)のラッシーの作リ方を教えちゃおう。
インド一美味しい。アグラのラッシーおじさん
まずダヒとかカードとか呼ばれるヨーグルトの素は、素焼きの直径50センチ深さ5センチくらいのポールに入っていてミルクを自然発酵させたものらしく上には膜がハリーンと張っている。
そして足元に氷の固まりが置いてあって溶けないようにムシロをかぶせてある。
インドはかなり空気が乾燥していて、温度も高いので、ムシロに時々水をかけると水分が蒸発する時の気化熱で表面の熱が一気に失われ、水はいつまでも冷たぁくいられる。
ダヒもそうで素焼きの器にはいつも外から水をかけている。
きて、まつげおじさんの真ん前には、素焼きでなくちゃんと釉薬をかけて焼いてある陶器製の大きくて立派な壺がデンと置いてあリ、この中に、へラでダヒをすくって入れ、氷を手でつかみキリで細かく砕いて入れ、木のかくはん器を突っ込み両手ではさみ勢いよく混ぜる。
この時、スウィートか、ソルトかを言って、味をつけてもらうけれど、ラッシーはスウィートがおいしいに決まってる。
インド人は塩味も好きらしいが、ヨーグルトに塩はちょっとゴメンだね。
私は飲むことは飲めたがまぶた君は吐きだした。
お砂糖を入れてかきまぜたあと、何かエッセンスをふりかける。
これがヨーグルトシェイクではなく、ラッシーになる秘訣で、香料だ。
何だかはわからないので、自分で作る時は、やっぱりヨーグルトシエイクになってしまう。
水もミルクもおじさんは入れなかったけれど、ダヒが成分の混い発酵乳だし、氷は溶けてツブツブになるくらいに混ぜるからスカーッとした口あたりのよい飲み物になる。
家でトライする時は、ブレーンヨーグルトを買ってきて、少し水とミルクを多めに入れ砂糖を入れ、ミキサーでプーンとすればいい。
でも、もし木のかくはん器があったら、それがいいに決まってる。
ラッシーはカレーにもよくあう飲み物だ。
ラッシーが冷たい飲み物のチャンビオンなら、次にくるのがマンゴシェイク。
もうたまらなくおいしい。よく熟したマンゴにミルクを入れシェイクする。
マンゴとミルク、実によい組み合わせで疲れてもマンゴシェイクですぐ勇気がわく。
只今、安くてお気に入りのシュガーケインジュース制作中
マンゴシェイクの次にくるのが、シュガーケインジュース。
これはジュース類では一番安い飲み物だけど、我々のお気に入り。砂糖キビなんて見たことある?見かけは、やや細めの青竹って感じ。長いのを20本ぐらいまとめて圧搾機に押し込む。ロールを通って向こう側に山た砂糖キピをまた機械に押し込む。これを五回くらい繰リ返して、砂糖キピはすっかり水分をとられて、パサパサの長い繊維になってしまう。
そして下に受けてあったパケツには、シュガーケインジュースがたまるわけだ。
シュガーケインジュースは薄緑色で、甘くて青くさいところがいい。
氷をたくさん入れてもらって冷たいのをキュッと飲む。グリーンティーにちょっと似てる。
一杯30パイサから50パイサ(十五円)、そのほかに清涼飲料では、コンパコ-ラCampa Colatola、サムズアップThums up、ダブルセブン 77、リムカ(レモンスカシュ)、ゴールドスボット(インド産オレンジスカシュ)、エネルギー(イチゴミルクやパイナップルミルク、チョコレートミルクなどミルクシェイク)などがピン詰めである。
買う時は、冷たぁーいのを1本といっても、「はい冷たいよ」ってぬる〜ぅいのをくれるから、
おっちゃんが栓を抜く前に自分で、よーく確かめてから、栓を抜いてもらったほうがいい。
★路上でも市場でもフルーツがヒーロー
果物が並べられているハデさは、どうしても無意識に通り過ごせない強い力がある。それでは、インドの果物を紹介。(知ってるものだけしかわからなかったけど⋯⋯)
● マンゴー
3月から6月ぐらいがシーズンで、真ん中に大きな種があり果肉は真っ黄色。そのままでは我々にはちょっと香りがありすぎるみたいだけれど、マンゴシェイクにするともうたまらない。表面は、緑がかったオレンジ色、1個70パイサぐらい。
● パイナップル
朝食にずいよん食べたものだ。日本のよりやや小さ目で、あんなに甘ったるくなく新鮮なさわやかさがある。1個1ルビー(三十円)くらい。
● バナナ
路上売店では、ピスケット、コ一ラ、煙草などと並んでいつもパナナが上からぶらさがっている。
枝ごとついていて、いいのを選びそこからちぎって買う。インドののパナナは種類が多く、
まず安い方から緑パナナ。これは熟していても皮が緑色で味は普通。1本15パイサ(五円)、
黄色の大きいパナナ(30センチくらいある)は、主に煮込みや天ぷらに使うものでおいしくない。
黄色の短いパナナはモンキーパナナで甘くておいしい。ー本20〜25パイサ(七円)、
そしてパナナの王様レッドパナナ。表皮が茶かっ色で中はやや赤みがかったパナナ色。
このおいしさは、日本にないからたとえようがない。インドに行ったら食べてみて。1本60〜70パイサ(20円)
レッドバナナ見たい方はこちら
こちらは「黄色じゃなくて赤いバナナ!?レッドバナナの特徴を徹底解説」
● パパイヤ
YWCAの朝食で毎日でたのがハバイヤ。果肉はショッキングオレンジ色で、やや脂っぽくとろけるように甘い. 種は中央に小さくて黒いのがつまっていて、それをとってからレモンをジュと絞って食べるといける。
● オレンジ
インドのオレンジはさっばりしてる。薄味なのだ。でもおいしさは十分あり、酸味と苦味がない。だから絞ってジュースにしたら、非常に飲みやすく、ぐんとおいしくなる。4個で1ルピー(30円)くらい
● レモン
インドではニンプと呼んでいて、日本のスダチみたい。小さくピンポン球のように真ん丸で緑色をしている。レモンジュースも料開にくっついてくるのもみんなこのニンプ。4個1ルピー酸っぱい。
● チク
ジャガイモそっくりで、近くで見ても間違うくらい。食べ方は、手で二つに割ってイチジクを食べる要領で中だけムシャムシャと食べてしまい皮は捨てる。この甘さがなんともいえず下品な雰囲気。バツグンにうまいという人もいるが、ザラザラした甘さなのだ。
● ヤシの実
ヤシは許若いうちには穴をあけられジユースを飲まれ、熟してからは割られ中の真っ白な果肉をけずって食べられ、からは器にされててしまうという悲しい果物なのだ。真っ白な果肉は小さく砕いたり、食べやすく切られて水の中につけるか上から噴水みたいに水をかけられて売っている。そのままおやつとして食べる人もいるし、料理にも使う。
● リンゴ
小さくて、おいしくなかった。
● メロン
パカでかくてあっさりした味。(ラグビーポール型)
● スイカ
よく熟していてどこで食べてもおいしい。一切れ30パイサ(十円)
● ドリアン
タイにも多かったけれど、インド人も大好き。果物屋のおっちゃんは一日中ナイフを上手に使って変な形のドリアンから食べる果肉をとりだしている。中のヒダヒダに肉が少しずつ入っているので大変。インドでも高価な果物らしい。
キュウリもよく路上で売られていて、おっちゃんがくるくると皮をむいて塩をかけてくれる。キュウリはインドでキーラーといい、暑い時にこれを食べるとホッとする。
お店のある果物屋さんは、ジュース屋も兼ねているので、好きな果物のジュースやミルクシェイクがどこでも飲めるわけだ。果物でおおいにビタミンを補給しないと体力消耗するよ、インドでは。
★食後には葉っぱガムと甘ぁ〜いお菓子
チューインガムを口に入れる前に、
メニューで紹介しなかったもののアラカルトをここでまとめておく。
カレー以外にメインディッシュッとなるものにタンドリーチキンがある。
これはチキンを辛いスパイスで味つけし、炉の中でじっくり焼いたもので、高級品だが実にウマイ。カパブも一般的なおかず。マトンなどの肉に香辛料をたっぷりつけて、串焼きスタイルで焼いたもの。ごはんものではインド風炊き込みごはんのピリア二、ちょっとカレー味の焼きめしはプラオというが、食べてみて、この区別ははっきりつかなかった。
やや脂っぽいが、ベジタブルピリアニとか、チキンプラオとか言って注文する。
マサラドサは私のお気に入り、米と豆の紛で作ったクレープにカレー味のジャガイモ煮をオムレツ風に包んだ物で、辛いスープをかけて食べる。おいしいよ。
スナック類ではサモサのほかに、
テイキア、アルチョップ(マッシュポテトを鉄版で焼いたマンジュウみたいなの)
チャナ(ゆで豆)、ゴルガパ(ピンポン球のように丸く膨れたせんべい。指を突っこんで穴を開け、その中にカレーや豆やイモなど入れて食べる)。
さて、インドのお食事がつつがなく終わってレストランを出ると入り口にチューインガム屋さんが店を広げている。
まずクチャクチャとかむのは子供の手のひらくらいの大きさのキ/マといわれる葉。
この葉っぱに赤、白、黄などどぎつい液体をスプーンでチョイチョイとのせ、
十種類ぐらいある香辛料を人れて、葉つばをクルクルとまき、ヒョイと手渡してくれる。
中に入れる香辛料などは客の注文に応じて調合するが、ハッカやミントなども入れる。
インド人は食後にこれをチューインガムのごとく口に放り込みクチャクチャかみながら歩いている。
そして時々口にたまった汁を道にベッと吐きだすので道端には赤いシミや黄色いシミができていて、初めのうち何だろうと不思議でしょうがなかった。
勿論、インド人の口のの中も真っ赤や真っ黄色。一度試したが、あまりの違和感にすくに吐き出してしまった。
葉っぱのあいだから香辛料のくきやツブツブの実がでてきてハーッとするハッカ味に苦みがあり、
おまけにそれらを噛めていうんだから。刺激があり、ずっと噛んでるうちに赤い汁が口の中にあふれ、酔ったような気分になるんだって。
このチューインガム、現地ではパァーンという。
パァーンとは別に食後、口に入れるものとしてお菓子がある。
インドのお菓子はどれもごく甘で、形こそ小さいがヨウカンみたいなのや、シロップ漬け、砂糖固めなど、ゾッとする甘さ。見ばえはかわいくて、銀箔入りうずまきなんてのもあり、目も舌も楽しませてくれる。甘党の人トライしてみては⋯⋯。
★チャパティーを作ろう
一口で言えば、イース卜菌を使わないパン。
①材料は小室粉。できれば玄麦粉がよい。
②玄麦粉と水を2対1の割合で少しずつ混ぜる。
③指でコ不コネとベトつかなくなるまでこねる。固さは耳たぶくらい。
④できた生地を一握りとり、粉をふった板の上にのせ、まず丸める。
⑤そして打ち粉をしながらめん棒で厚さ3ミリから5ミリくらいに延ばす。
⑥熱したフライパン(厚手がよい)に油を入れないで延ばした生地をのせる。火は中火。
⑦プツブツと、ところどころ膨れてきたら裏返して、膨れたところに、焦げ目がつけばできあがり。
チャバティーはカレーにつけて食べたり、おかずを包んで食べてもいいし、
何よりもアツアツの柔らかいのをちぎって口に入れるのもおいしい。
このチャパティの生地を直径10センチくらいにして油で揚げたものがプーリで、ブーリもカレーと一緒に食べる。また、チャパティーを油を引いたフライパンの上で、何度も重ね焼きしたものがパラサでまぶたた君のお気に入り。パラサには重ねる時に薄くカレーをはさむことがあり食欲のない時は、これで元気が出ちゃう。レストランではチャバティーのお代わりは自由、焼きたてを決々持ってきてくれる。
塩味がついたのもあり、インド・パキスタンの代表的なパン。
★ベジタブルカレーを作ろう
カレーのベースになるマサラに使う香辛料は、あまりにも複雑で、日本では揃えにくい。
今日は、スーパーで手に入るもので作ってみよう。
①材料は植物油。もし、あればギー(インド風パター) タマネギ、ニンニクそして季節の野菜を好みで(ジャガイモ、ナス、ホウレンソウ、マッシュルーム、トマト、カリフラワー、オクラ、どれか二種類くらいでもOK)ミックスしてもよい。
香辛料としては
ⓐ唐辛子、生姜、黒胡椒
ⓑカミン、コリアンダー、パプリカ、カードモン
ⓒターメリック。
②分量は適当に。鍋に油太さじ三杯を熱し、みじん切りにしたタマネギとニンニクをヘナへナになるまでよく妙める。
③次に乱切りにした野菜と香辛料を加えて、さらに妙める。香辛料ⓐは辛みをつけるため、
ⓑは香りをつけるため
ⓒは色をつけるため。
もし戸棚に気に入っている香辛料があればそれもかまわず入れちゃおう。
塩も忘れむいで。
量ははそれぞれ普通の味つけより濃い目。
④水を加えて、野菜が柔らかくなるまで煮る。
リンゴやハチミツは、このカレーに関してはタブー。もし何か入れるのならレモノ汁、ココナツミルクなど。
★飲み水いろいろ
インドに来て、下痢の洗礼を受けない人はまずいないだろう。
我々にしても、初め3〜4日はウンウン苦しんだものだ。
しかしそれを通過してしまえば、後はラク。体が風土になじんでいくみたい。
そして強くなったこの体は以後どんな気候にもどんな雑食にも負けず、激しい力で、なんでも消化していく。
インドでは(インドだけではなくどこでも)生水は飲んではいけないとキツク友人から言われてた。
だが、清潔な水がない時はしょうがないし、現地の人はガブガブおいしそうに飲んでいて、なんともないんだからいいんじゃない⋯⋯ということで生水もよく口にした。
ただインドにおいては、必ずドリンキングウォーターか?と聞いてみる。
インド人は決まって自信たっぷりに”イエース”というが、半分以上はあてにならない。
ドリンキングウォーターと呼べるのは一度沸騰させたボイルドウォーターとフィルターを使ってこしてある水。それとミネラルウォーターのピン詰め(おいしいけどパカ高い)だけ。
食堂、レストランでは日本と同じようにすぐ水を持ってくるが、色や味でそのどれかを判断する。
ミネラルはまず注文しなければでてこない。
ボイルドは色が少し白く濁っていてまずい。
濾したものと、生水はどちらも透明で水の味があり、おいしいが生水の方は時々、モロモロが浮いていたりすることがある。
ホテルの部屋には、ウイスキーの空ピンなとに入れたドリンキングウォターが置いてあるが何目前のかわからないし一緒に置いてあるコップも洗ったことがないような感じなので、飲む気がしなく、水道の水に一滴おとす消毒液をかけて飲んだ。
ジャイプールの大衆食堂で、昼食にサモサとマサラドサ、それにバコラとパイナップルシエイクとマンゴシェイクを頼んで、にぎやかに食べていた。
我々の席のうしろにはセメント作りの大きな水槽があって、下の方に二か所ぐらい直径3センチくらいの穴があいていて、そこから流れてくる水で食器を洗っている。
この食堂、屋根はバナナやヤシの葉をかぶせてあるだけで床はセメント、食器は、おっちゃんがしゃがんで洗剤もつけず黒く汚れた指だけで洗っているのだが、その水は客の間を通って表の通りまでじゃあじゃあ流れている。
ここで飲み水を頼んだ。
その食器洗いのおっちゃんが今洗ったはかりのコップを片手に持って、
その水槽の中ヘポチャンとつけハイヨ!!って手渡してくれた。
インドではこんなもんで驚いちゃいられない。
ジュースを作る時入れる氷は地面にじかに置いてワラをかぶせてあり、色はたいてい黄色く濁っている。それを洗っていない手でつかみ割って入れるんだから、オウランガパード政府直常の宿泊所に泊まった時、
部尾までついてきたオッサンに「ドリンキングウォーターはどこにある」と聞いたら得意そうに ”ここなんだ”と廊下の方を指さした。
そこには高さ1メートル以上もある大きな水がめがあり、半分くらい水が入っている。
「これは飲めるのか」と聞けば、
「もちろん私が毎朝汲んでくるのだ」と一層えらそうに言った。
どうして飲むのか聞いたら、やっぱり
「入れものをこの中ヘポチャンと突っ込めば簡単さ」と言っていた。
翌朝オッサンが水を汲んできたところを見たら水色の大きなポリパケツを引きずってきて、かめの中に水を入れている。
そのパケツは、日本ではまさしくゴミの日に通りに並ぶやつだった。
★ジヤイプールのラムネ屋さん
乳母車ののような小さな屋台を押して歩いているラムネ屋さんに会った。並んでいるピンを見ると、コーラ、オレンジソーダ、ラムネ、黄色のや緑のやいろいろあり、どれも1本40パイサ(自家製だから)という安き、1本キューッとやってみた。このおじさん、このソーダ類をその場で自分で作っている。
カラになったピンに水を入れる。この水はできあっがているソーダ類を冷やしてある水。つま
り氷の溶けたやつだ。それをピンの間からすくってカラピンに入れる。五分目くらい水を入れたら、なにやらエキスをチョピッと入れる。コーラエキス、レモンエキスといろいろ。そして、それを一度に3本はいる機械にセッ卜して勢いよくグルグルまわすと、シユッと音がして炭酸入りのラムネのできあがり。ていねいにフタまでちゃんと閉まっている。なんとも摩訶不思議なラムネだったがおなかはこわさなかった。
「辛いね、辛いね、」と言いながら、最後までペロリと食べられちゃう。
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