ウォーターフェスティバルで
ずぶ漏れになった
80/04/14
眠いけれどしかたがない。水上マーケットに行くために6 時30分に、ソムチャイさん、ゆうこさんと待ち合わせをした。
パンコクのAIRPORT からのマイクロバスの中で知り合ったソムチャイさん夫妻にはお世話になりっぱなし。
トクトクで水上マーケット近くのお寺まで行く。
いかにもタイらしい極彩色のお寺が並ぷあたりを通り抜け、船符き場に出た。
ガイドプックには「ポートの値段は交渉次第だが、一人約100 バーツ」と書いてあった。が、ソムチャイさんの巧みな交渉で四人、130 パーツになった。一人あたり32.5パーツ。やはり観光客はぽられているのだ。(1980年当時のレート、1バーツは十円)
ポートがいっぱいの船着き場を出ると製木豆幅100 メートルもある広い川に出た。岸辺には小さな家が密集していて床の下ーは水が流れている。
ちょうど朝なので子供から大人までみんな川の中に飛ぴこんで歯をみがいたり、頭を洗ったりしている。まさに川が生活のすべてなのだ。
このあとずぶ濡れに
しばらく走りオリエンタルホテル(一般観光客用のツアーポートがここから出る)近くで給油をして、いよいよ水上マーケットのある細い支流へ、入ってゆくのだ。
今日は祭日で、おとといから始まったウォーターフェスティパルの最終日。さっきの岸辺の家の子供たちもいっせいにボリエチレンの袋入りの川の水をプンプン投げてきた。幅7 、8 メートルしかない河の両側、橋の上でズラッと子供達が水袋を手に並んでいる。もう逃げ場がなかった。
ソムチャイさんが立ちあがり、タイ語で、
「この人達は外人だから投げてはいけない」
と叫んでもいっこうに気にせず、後から横から前から上から、キャッキャッと喜んで投げまくる。
頭に何発もあたり、早くもぐっしより。まぷた君は真剣な願でカメラの上におおいかぶさっていて、私をたすけるどころではない。川の水といっても泥でにごっていて不潔きわまり
ない。もっと川輻がせまくなると、パケツで水をかけられた。もうメチャクチャ。
他のポートの白人中年女性はほっぺを真っ赤に腫らして泣いていた。
ところがパックツアーらしい日本人三十人ぐらいの団体の乗っているポートは、攻撃されるや否や。ハッと厚手のピニールのカーテンを下ろし、完全密封の状態になり、涼しい顔で子供達の投げる姿を見ている。
ムカッときたが、我々の方がウォータ—フェスティパルを正しく体験していると心を慰めつつ堪えたのだった。
前に何度も水を投げつけられた外人が怒ってけんかになったり、発砲したりの事件があり、問題になっているらしいが、水をかけたことに対して怒ると、健康を祝うお祭りなのに何故怒ると、逆にけん
かになるという。でもパンコク市内では、外人観光客に対する水のかけ合いは禁止されたらしい。
事実、昨日は何もされず、笑いながら水をかけられているおもしろい風習を客観視していたのだ。
でも今日、実際に体験してみて、くさい水でずぷ濡れにされ、とても徴笑がえしなどできません。
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トクトクについてとくとくと語る
街をプラブラしていると5 分に1台、いや2 分に1 台はタクシーや、トクトク(オート三輪のタクシー}が寄ってきてクラクションを鳴らしニヤニヤしながら乗れという。こっちもニヤニヤNO という。足をたたいて、Just Walkingというが、それでも乗れと言ってついてくる。
走る昔からついた名前らしいがそれぞれデコレーションを工夫して走ってくる。
勿論、値段は交渉制。最低料金で8パーツと現地の人に教えてもらったので、近距離の時はいつも8 バーツといって値切り始めた。初めは25バーツとか30バーツとか言ってふっかけてくる。ところが8バーツというと、向こうは一瞬『こいつ知ってるな』とギクッとしてすぐ12バーツとか下げてくるから、10バーツぐらいでまとまれば成功だ。値段がおり合わなかったら、すぐバイバイすればよい。トクトクははいくらでも走ってるのだ。ただ距離がどのくらいあるか普通わかるはずないので、まずいくらかを聞いて、そのふっかけ具合で値切る術を覚えた。
例えば我々が体験したふっかけ航段と、決まった筑設の実例歩普くと25バーツ→10バーツ、30バーツ→15バーツ、35バーツ→20バーツという具合。少なくとも約半分にはなるとみていい。だから、ふっかけられた値段のまず1/3ぐらいをいう。向こうの下げ方が小さい時はしばらくこの1/3で頑張る。でも肉えば30を10と言って、向こうが20に下げてきたら、15なら乗る、それ以上は絶対に払えない風な態度をとると決まる確率は高い。そうでなくても日本人は令離れがいいと、甘くみられているのだ。
絶対負けないという般然という態度が後からくる日本人旅行者のためにも必要なことなのだ。
市内には巨大な映画の看板
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パタヤ行きたやゴムゾウリ
『僕はパスストップでチケットを売りながら、英語覚えてたんですよ」とアマディーンさんは世間話から自分のことへと話をきりかえた。
よくしゃべる人だ。夕飯を宜べている時に話しかけてきて、海で最近遭難があった話とかを. 一人でしゃべっている。悪い人じゃなさそワだから相槌を打っていたんだけど、.ベースにのってしまったみたい。
「あなたたちはいいですね、そうやって世界を旅して回って、私なんかいくら働いても子供が多いし、一生ここから外へは行けませんよ」
ひとしきり自分の身の上を話してから今度はベトナムの難民がタイにいっぱい流れこんでる話になった。
「ここにだってポロ舟にぎっしり乗った難民がきたこともあるんです。日本は車や電気製品で進出してくるばっかりで、ベトナム艦長に対する救済の手を全くさしのべていない. ベトナムより多少はよいとはいっても、タイだって本当に苦しい生活をしています。どうか日本に帰ったらタイやベトナムに援助の手をきしのべるようにみなさんに伝えてください』
と、話は政治問題にまで発展した。
これはいいかげんにきりあげないと終わらなくなると思い、タイミングを見つけて立ちあがると、アマディー ンさんあわてて言ったのだ。
『あの、ぞれから、住所を教えますから日本に帰ったら私にお全を送ってくれませんか?」
そこに話をもっていきたかったのかと苦笑してしまった。一生懸命話を聞いてあげて馬鹿みたい。
その日、泊まったホテルパンガローの一泊200バーツの部屋はまるで連れこみと雰囲気のせまい暗い部屈で、翌日は奮発してプールつきで海岸線では一番安かった(350バーツというのを3 日泊まるからと300バーツに値切った)パームロッジに移ったのだった.
パタヤビーチはほんとにせまいピーチで、はしからはしまで歩いたって30分で歩けちゃう。海岸線をずっとメインストリートが走っていて主なホテルや店はほとんど面している。公共の乗り物は乗合量トラックパス。小型トラックの荷台に幌
がかかり椅子があってお客さんはそこに乗る。
乗る前に行く先をいうとちょっとふっかけて料金を言われるが‘値切ればたいてい一人3バーツぐらい。我々は二人で5バーツという線を守った。
パタヤにきて時間に余裕のある人は、海岸の突き当たりの小さな港から出る定期船に乗ってコーラン島に行くとよい。
片道1 時間で料金は160バーツ。日帰りにはもってこいだ。
この港のあたりから繁華街が始まり、道の両側にレストランやいかがわしいパーがズラーっとと並んでいる。ほとんどのパーが水兵を相手にしている。アメリカ兵が多いみたい。そしてオカマちゃんが多いのだ。昼間からカモをきがして道をウロウロしているので気味悪いのなん
の。
このガラ悪街を100メートルぐらいガマンして歩くと急にガラ良街
になって、新鮮な海の幸を安く食べさせるチャイニーズレストランが並ぶ。一度「NANG・NUAL」で夕飯を食べたんだけどおいしいの、なんのって、Cheek Downでした。
このへんの料金的相場はやはりバンコクよりすっと高い。リゾート地だからかな。
例えば、コカコーラがパンコク市内では3バーツで飲めたのにここでは5〜8バーツ。ホテルやレストランだと、10バーツもとられる。それに中流ホテルでさえ盗難が多いらしい。
同じホテルに泊まっていて、プールで知りあったイラン人(この人まぶた君と国際レース平泳ぎ25メートル決勝をやって負けた)は、前の日に2500ドル知らない間に盗まれて、これから香港、日本へ行こうと思っていたのに行けなくなったと言っていた。
「イランも行きたかったけれど政治状態が悪いからやめた」というと、
この人、笑って「あんなに大きわざしてるのは新聞やマスコミだけで、危ないのはほんの一か所。みんな平和に暮らしている」と言っていた。
でもあれからイラクとの眠争も始まって、あの人どうしてるかなって思う。お金持ちみたいだから一番先にどこかに逃げてるかもね。
一番楽しそうな遊びはパラセーリング。背中にパランュートをつけてモーターボートにひっぱってもらう。.一回250パーツぐらい。
我々はこれからのインドにそなえてもっぱらプールサイドで甲羅干し、お土産なんて何も買わなかったが、まぶた君用のXLのゴムゾウりを値切って15バーツで買った。このゴムゾウリすばらしく長持ちした。
インド、チュニジア、モロッコの熱い大地を踏みしめてベナペナになり、スイスはアルプスの中程で息つきた。立派! 立派!
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